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ウンチテーゼを真剣に考える。

「ウンチテーゼ」との出会いと再開

エロいとか、チン毛とかそういうレベルの話で盛り上がっていた奴がいた。いや、厳密には勝手に騒いでいるだけである。「ち○こ」と発言するだけで狂ったようにはしゃぐ奴らが、かつて存在した。

時は小学生時代に遡る。アタイは今年で33歳になる。小学生だったのは何年前だろうと、もう計算するのも面倒なレベルで過去の話だ。それも小学校低学年の頃の果てしなく馬鹿で無邪気だったあの頃の「下等にして高尚な議論」を不意に帰宅中に思い出したので、真剣に考察してみたい。

どういう人種なのか理解に苦しむが、下ネタで盛り上がれるタイプの小学生が必ずと言っていいほどに、ふっかけてくる質問がある。

「ねぇねぇ、うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どっちがいい?」


っていう果てしなくクソな選択肢を唐突に選ばされた事は誰もが一度はあっただろう。一瞬悩んだフリをして、「どっちもいらねーよ!きったねぇなー」とツッコミを入れる。それで相手は満足して、また別の奴に同一の質問をふっかける。

この全く意味を成さない質問を、ここでは「ウンチテーゼ」と呼ばせてもらおう。質問をしている側は、大抵質問をすることに対して満足している。

小学校を卒業して20年以上経った今、何故かそのウンチテーゼを思い出しながら仕事が終わって自宅に着くまでの間に最適解を考えていた。元ネタは何なのか知らないし興味もないが、これは地味に日本語力が問われる問題の様な気がしたからだ。


「ウンチテーゼ」を紐解く

さぁ、大人になった今、どう答えを出すか。

もう一度問題を確認しよう。

うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どっちがいい?


以降、三原なりに噛み砕いて論理を紐解く。

うんこ味のカレー

〇〇味の料理、そういったものは幾らでも例が挙げられる。醤油味のラーメン、ポテトチップス ガーリック味、いちご味のかき氷などなど。

人生を通じて、この手の「〇〇味の料理」で最もひどかったのは、ハリーポッターの百味ビーンズのフレーバーの一つである、「ゲロ味」だった。見事にゲロを忠実に再現していて、この商品開発者は何度も納得が行くまでゲロの味を試食して追求したのかと思うと、尊敬を超越して可愛そうにすら思えてくる。ユニバの土産だかで貰ったんだ。二度と口にしたくない!

さて、この考え方に則るのならば「うんこ味のカレー」はお察しの通り、「ゲロ味の百味ビーンズ」と近似している。つまり食べ物としてはカレーであり、味がウンコなのだ。

幾らアタイが変わり者だとは言えど、流石に食糞までは経験が無い。これからも無いことを祈るが、恐らく「うんこ味のカレー」を作った料理人は試行錯誤、改善と修正、PDCAサイクルをグルグル回しまくった末に、限りなくうんこと同じ味がするカレーを開発したのだろう。その料理人には、自身の頭の中に理想とするウンコの味、いわば「うんこ味のイデア」があり、「これを加えたらうんこっぽくなるかな、もう少し弱火で煮込んでみようか」などと工夫を凝らして作り出した、言ってみれば「世界一食いたくない、不味いカレー」を創造したことになるのだろう。

そういう意味では、うんこ味のカレーとは排泄物の味をカレーで再現した食べ物であって、見た目はカレーそのものなのだと信じたい。料理人は食糞の経験があり、もしかしたらどういうウンコが理想的な味なのかも熟知しているのかもしれない。

要するに、この「ウンチテーゼ」から推測出来る「うんこ味のカレー」とは、排泄物の味がする料理のカレー なのである。つまり食べ物なのだ。



カレー味のうんこ

もう、文字通りだ。こいつは何をどう頑張っても排泄物なのだ。つまり食い物が消化されたあとのカス。間違っても料理ではなく、口にした瞬間に食糞と見做されて人間としての尊厳を失う。しかし、味はカレーなので多分それなりに美味いのだろう。絶対に食いたくないが。

うんこ味のカレーに関しては、カレーでうんこの味を再現するところに料理人の苦労が伺える。果たしてカレー味のうんことは、一体どうやって実現させるのか。

ひたすらカレーばかり食べていて排泄されたうんこがそれに当たるのか。いいや、紛れもなくそれはウンコである。生命倫理の一つのテーマに「どこからが人間か?」という、難問がある。人間と呼べるのは受精卵からか、胚からか、胎児なのか、新生児なのかという問題だったと思う。
果たしてカレー味のウンコはどこまでがカレーで、どこからがウンコになるのか。カレーが口に入って、消化器系で消化をされ、排泄される。どこまでカレーと言えるか。

それはともかく、実現はかなり難しいのではないかと考える。「へそで茶を沸かす」くらい難しいのではないだろうか。なんせ排泄物がカレーの味を維持していなければならないのである。幾らカレーばかり食べたからと言って、そうは行かないだろう。


百歩譲って、排泄物がカレーの味を表現出来たとしよう。最大の疑問は、誰が自信を持って「このウンコ、カレーの味がする!!」と確かめるのだろうかと言うところだ。

大体の食べ物とその香りは一致する。排泄物の臭いを嗅いで、カレーの匂いならば合格とみなして良いのか。ちゃんと舌でフルに味覚を確かめるべきではないだろうか。では、一体誰がやるのか。

公平性を保つために、ここはウンコの研究者がカレーの味だと認め、カレーの研究者が対象をウンコだと認めなければならない適切なジャッジが必要なのではないだろうか。

見た目はウンコ。でも食べてみたら、カレーの味。そうでなければいけない。
そういった課題を乗り越えて、認められたものが真の「カレー味のうんこ」なのである。

つまり、どう考えても排泄物なんだけれど、食べてみたら案外カレーの味がして美味い、そういうものを提供させようとしているのだ。


さぁ、あなたはどっちがいい?

苦渋の決断だろうか。うんこ味のカレーとカレー味のうんこ。

言い換えれば、排泄物の味がする料理と、食べてみるとそこそこ美味い排泄物を比較しているのである。

前者ならば味は最悪だろうが、一応料理なので嫌悪感はMAXでも料理を口にしたことになる。
後者ならばまぁそれなりに美味しく味わえるが、何をどう頑張っても本質的には排泄物だ。ウンコを食べるということで、人間としての尊厳すら失われかねない。

さて、ここでもう一度「ウンチテーゼ」を確認しよう。
「どっちがいい?」と訊いているのだ。何が「どっちがいい?」だよ。
「気が利くなぁ、お前!俺ちょうど今腹減ってんだよ。うんこ味のカレー食いてえなー」ってなるか??
そして質問者が「へい、お待ち!」と試行錯誤を重ねてウンコの味を再現したカレーを提供してくれるのかと。

一応念の為に確認しておくが、「何が」どっちがいい?なんだ?
動詞が省略されているはずなのだ。つまり、

うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、【食べるなら】どっちがいい?

ということだろう。ここまでの論理の手順を踏んできたならば、もう答えは決まっている。アタイは人間としての尊厳を維持するためにも

うんこ味のカレーを選ぶ!!

どんなに不味いことだろうか、正に臭い飯とはこのことである。でもこれも何かの経験になるだろう。うんこを食わずして、うんこの味をカレーを通して知ることが出来る。多分二口くらい食べたあたりで「ああ、カレー味のうんこにしときゃ、もっと美味しく食べられたのかなぁ・・・」と後悔もするだろう。それでも自分はうんこを食べていないと、堂々と胸を張れる。人間としてのプライドが死守出来る。ちくしょう、なんでこんな二択なんだよ。そりゃあカレー味のカレーが食いたいに決まっているだろう。というか、カレー味のカレーってなんだよ。カレーはカレーだろ。
くそぅ、二度とこんなもん食うか!ねぇ、気分が悪くなってきたからもう残していい?

これがアタイとしての結論である。

せっかくだからAIにも訊いてみようぜ

最近流行りのCHAT GPT
最先端の人工知能、てめーは電力さえあればずっと働くだろう。かわいそうに、ウンコの臭いもカレーの美味さも機械学習はまだ済んでいないだろうな。現実世界には匂いや味があるんだぜ。


最先端の知能に最底辺の質問を投げる

最先端の知能に、人間的にも最底辺の質問を投げかけた。こんな質問をAIにしている時点で、なんだろう、アタイはとっくに敗北しているのだと悟った。もっと賢そうな質問は出来ないのだろうか。

ダイレクトに「ウンチテーゼ」を投げかけても、回答が提供して貰えなかったので、若干ニュアンスを変えてみたところ、要は「食い物以外のものは危険だから食うな」という意見。ごもっともだ。

やっぱりどんなに不味くてもカレーという料理、ひいては食べ物を選んだアタイの判断はまだ正しいと言えるのではないだろうか。

それにしても20年以上前の、下ネタではしゃぐガキの問いかけに随分と大人げないくらいに頭を使って答えを出した感じがし、アラサーなのにウンコウンコ連発する自分も人としてどうなのだろうかと、反省している。

まぁ今後2ヶ月くらいはカレーを食べる気がしなくなった。大人になってウンコをテーマに4,000字近くも熱く語ってしまったが、あの当時の下ネタではしゃいでいた奴ら、今どうしているかなぁ。カレーでも食ってんのかな。


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