見出し画像

チベットの師と、日本の神

3歳の頃、秋田の曾祖母の葬儀に参列したときのことでした。

その時、文字もろくにわからない私が般若心経を大声で唱えていて、導師をつとめた菩提寺の住職が思わず振り返ったという逸話が、秋田で語り継がれています。
そんな記憶は私にないのですが、たぶん唱えてたんでしょう。

その後、仏縁があって正式に入門し、今でも師匠の慈悲で末席に名を連ねているのはチベット仏教(蔵密)でして、自分の生活規範や考え方も、チベット式になっていきました。神社や日本仏教のお寺の参拝作法まで。

それから神道とご縁があり、神職としての作法や祭式を広く学びました。
日本の神様に相対するには、神道の作法を知っておく必要があると考えたからです。着付けや衣のたたみ方から、立ち方、礼法、進退作法など基礎をみっちり。舞踊の稽古のような厳しさでしたが、いい機会でした。
その後、ご縁のある神様を自宅にお祀りして御日供を行ない、(あくまで神社神道の枠内ですが)なんとなく神事(かみごと)ができるようになってくると、不思議な体験を少しずつするようになりました。

しかし私のチベットの師は、いわゆる「霊体験」や「神秘体験」を口外することを、昔から嫌っておりました。
そのことが頭にずっとあったので、神事をやるようになってからの体験については、誰にもしゃべってはこなかったのです。

画像2

それが去年の暮れ、私も含めて4人だけの内輪の忘年会に呼ばれて、チベットの師と一緒に食事をする機会に恵まれました。
師は八十歳を過ぎておられますが、まだまだお元気で、夜にも関わらず、食事に付き合ってくださいました。

そのとき私は、せっかくの機会だったので、気になっていた例の「体験」について、師にうかがってみたのです。
叱責されるかな、と思っていたら、意外なお言葉が返ってきました。

それは良いことじゃないですか。なんにも力がつかないより、力がついたほうが、それはいいでしょう。

予想だにしない答えで、私たちはポカンとしていました。今まで、こういうことを肯定されるような先生ではなかったので。

世俗の神に帰依したり、力に依存することは、仏教では通常、認められていません。これは帰依式(仏教徒としての入門式)で習う内容ですが、そのことを懸念していることを師に伝えると、今度は少し厳しい口調でこう言われました。

あなたは教育者ですから、私はこう申し上げますよ。
日本の神様に依存しすぎることを心配するのは、あなたの考えが浅はかすぎます。心が狭いです。日本の神様でも、ちゃんとお祀りすればいい。それは仏教のためにも、なるのです。

こうしたアドバイスは、弟子1人1人で違ってくるのでしょうが、私にこのような見解を示されたことで、神司(かんづかさ)の方向性は間違っていなかったと思うことができました。

師匠は長年、日本の風土と関わっていて、日本のことは知り尽くしておられます。日本の神様や日本人をよくご理解されたうえでのご発言だったので、余程の重みがあります。

仏教と神道を両立するあなただからこそ、できることですよ。
仏教がベースにあって、神様をお祀りするときも、仏教の心は持ち続けなさい。

菩提心と慈悲の心を基軸にする仏教徒として、日本の神様を敬い、お祀りしなさい。
そして、それが日本のためにもなる(とまではおっしゃっていないですが、でもそう言ってくださったような気がしました)。

その後、師はチベット語で書いた自筆の原稿をわたしに手渡して清書を依頼されました。それはまだ亡命前、古きよき時代の美しいチベット本土で、先生が幼少時に過ごされたときの話でした。
ご自身の原稿を、ご自身でチベット語の意味を一語一語解説されるというのも、前例がなかったと思います。本当に濃密な時間でした。

これを先生は2時間近くずっと解説されました。夜遅くまで解説をされて、私はその日、終電ギリギリで帰りました。
コロナが流行する少し前のことで、今となってはかけがえのない時間です。

ところで気になったのは、「教育者」という表現です。
今の私の職業は「教育者」とは異なるのですが、昔から師は、わたしのことを「学者」とか「教育者」と呼んでくださいます。

大学院に残って研究する道もあったのですが、向いてないと思って、やめました。
しかし師は、わたしにはそちらの道のほうが合っていて、日本で教えることができるユンテン(特性、才能)が備わっていることを評価してくださいます。

画像1

チベットの先生には、行者タイプの人と、学者タイプの人がいます。
行者タイプは激しい修行を何十年も積まれて、あざやかな成就を得て「ラマ」と呼ばれたり、「トクデン」や「ドゥプトプ」という敬称で呼ばれたりもします。

対して学者タイプの先生は、インド・チベットの祖師たちが残された論書に説かれている内容が、ご自分の修行の羅針盤となり、また瞑想修行の悟りの境地をもって本当の学問知識の理解をされるようなタイプの方です。
例えば空性について説かれた典籍(「般若経」だったり「根本中論」だったり)を真に理解するには、言語情報を超越した悟りの境地を、瞑想修行によって達成するしかありません。空性の境地を瞑想修行で達成した上で、さらに学問的見地を高めていくのです。

特にニンマ派の先生は、「単に経典を暗記しているだけの秀才」とか「ディベートが達者で口のうまい学僧」ではダメで、ご自身の修行体験・瞑想体験に裏付けられた伝統的解釈を踏襲しておられる存在です。

私の師匠は、まったくもって後者のタイプです。よって、修行ひと筋で学問をやらない行者さんとは、あまり相容れないようなところが見られます。
そして我々弟子も、同じような特質を有しているものです。課題が厳しいので、そういう弟子しか残らないとも言えますが。

師はよく「学問をやらない者は、本当にもったいない」とおっしゃります。この意味は、とてもよくわかります。

これだけ膨大な典籍があり、宝のような内容で、釈尊の教えを荘厳しているものが目の前にあるのに、それに触れないというのは、やはり人生を損しているような気になります。

そこで私も、宝のような典籍を少しでも日本に紹介したいと考えています。もちろん以前の記事にも書いたとおり(「マハーバーラタには、手を出すな!」)公開できる範囲内ではありますが。

チベット仏教の門に入っている日本人は、日本の神様とどう付き合えばいいのかわからない方も多いのではないかと察します。
そこで、例えば日々の食事の供養についても、ごく一般的な「トゥンパ・ラメー・サンギェー・リンポチェ」などと祈祷文・供養文を唱えて三宝に供養するだけでなく、食材を生育し提供してくれた感謝を、日本の神様に対して向けることも必要だと思っています(皆さんはとっくに知っていることなのかもしれませんが)。

「セルキェム(黄金杯)で護法尊供養すれば、日本の神様もすべてが包括されるだろう」と思われるかもしれません。私もかつては、そう考えていました。しかしそれだけじゃ、ダメだと思うのです。

私たちは想像以上に、日本の天神地祇から多くの恩恵を受けています。最近はその事実を痛感しています。
その御恩に感謝していくことが、私にとっての神事(かみごと)なんだと思っています。それは偶像崇拝でも盲目的崇拝でもないのです。

感謝せずとも生きられる人は、大勢いるかもしれません。
でも私は感謝しながら生きる道を選びました。

(冒頭のやり取りで)チベットの師がおっしゃりたかったのも、そういうことなのかもしれません。


加持の源である師に感謝し、長寿と健康を心から祈念します!

たなつもの 百々(もも)の木草(きぐさ)も あまてらす
日(ひ)の大神(おほかみ)の めぐみえてこそ

朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の
神のめぐみを 想へ世の人
               本居宣長大人




サポートは、気吹乃宮の御祭神および御本尊への御供物や供養に充てさせていただきます。またツォク供養や個別の祈願のときも、こちらをご利用ください。