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猪木

 僕は肝心な時に笑ってしまう。ツボが浅いというか、なんか笑ってしまう。昔からだ。
 一番古い記憶は小学校の学芸会でのごんぎつね。僕は兵十が張り切り網を何故持ち出したのかごんが知る件を読まないといけなかった。結構大事なシーンだ。
 なのに僕は吹き出してしまった。ああ、笑ってしまった。我慢が出来ないのだ。
 無駄な視界の広さや想像力が色々な場面で笑いを誘ってくる。この時は僕の祖母。なんでそんな前に座って手塚治虫みたいなベレー帽被りながら普段見ないくらいに真面目な顔で僕を見るのだ。普段ベレー帽被らないじゃない。レジェンド文豪感。
 お陰で母は次の日の連絡帳に僕が笑ってしまったことを長々と謝罪していた。

 10代の時はまさにピークだった。
女子が発表中、少しインテリっぽく「ここで豆知識」と言おうとして「ここでマメチキシー」と言ってしまったのを僕は5分くらい笑った。お陰でそういうのに目敏い道徳の先生に皆の前で立たされる始末だった。それでも僕は笑いそうになっていた。だって面白いじゃない、マメチキシー。
 なんか頭から手足生えてそうじゃない、マメチキシーはさ。そんでもってすごいウィンクしながらこっち来るんだよ。

 他の日には体育の授業で危ない事をした生徒が出たお陰で全員説教になった。説教はヒートアップして命の大切さまで語り始める。
「お前らわかってないな、ほんとに。どうなるかわかっとるんか?」
この先生絶妙に滑舌が悪い。というか、なんであんなに舌が回らないんだろう。あくまで経験談だけども体育の先生はみんな滑舌の改善を総出でやるべきだ。あの喋り方は威圧を与えるのに最適なんだろうけど、とんでもない事故が起きる。

「おい‼︎イノキ(命)は大事なんよ‼︎」

 ほら来た‼︎ほら来たよもうダメ。カ行苦手系ね、もうダメだ。頭に染みつく。
そしてこういう時に限ってだ。後ろの方で誰かが「イノキ?」と小さい声。
 みんなそう思ってんじゃんか。そう思いながら僕はなんとか堪える。なのにだ。僕の視界の隅で友人が小さく顎を出したりし始める。そこに重ねるように。

「イノキ(命)はな、戻って来ない‼︎イノキ(命)の大切さをわかってない‼︎」

 もうダメだ。背が低いから前の方なのに、まあまあ顔が見えるとこなのに。確かに戻って来ないよな、アントニオ猪木さん。前進あるのみだよ。

 その後もイノキ(命)の大切さをひたすら語る先生。僕はもう限界に近かった。どう頑張ってもアントニオ猪木さんが脳裏で大活躍してしまう。
「イノキ(命)の事考えたことあるのか?」
 いやまぁ、確かにこんなに猪木さんの事考えたこともなかったなと思いながら、唇を噛んで目を見開き、腰骨をこっそり殴る。頬はいつぞやのマウスウォッシュのCMの女性ばりに膨らんだり萎んだりを繰り返す。このままじゃバレる。

 その時だった。真後ろの列で誰かが吹き出した。
「おい‼︎誰やぁっ‼︎」
 大声でキレる先生、列から引きずり出されるクラスメイト。普段本を読んでいる大人しい子だった。そうか君もそういう人間だったんだな。
 引きずり出された彼は項垂れていたが、口角が少し上がっていた。まだ我慢出来てないじゃない。

 結局、彼は皆の前でガッツリ怒られたわけだが、僕以外の「肝心な時に笑ってしまう者」達に1人じゃないことを教えてくれた。それにその場では、わからなかったが後にその件を周りと話した時にかなりの人数がアントニオ猪木の波に流されるところだったことが彼のお陰で知れた。こういう事がキッカケで仲のいい友達が出来るとかはないが、廊下で会うと互いにニヤッと笑う人が増えた。

 僕はもう社会人。だけどいまだに笑ってしまう者だ。だけどこの時のことを思い出すと、割とそういう人多いだろうから、世の中の何パーセントかは僕の事を許してくれるんじゃないかと思ったりする。

 感動的でもなければ、ゲラゲラ笑うほどでもないような話。

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