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ジョン王 1月14日(土)マチネ


3日のニューイヤーカード配布日、8日のアフタートークの日が、ことごとく休演になってしまったため、今日が旬くん初めとなりました。


初日はソワレだったし、周りも暗くて、あまり通行人も通らなかったけれど、今日は雨の土曜マチネだったため、たくさんの傘をさした人が駐車場の奥の道路を行き交っていました。トラックの出入りも、ガードマンの周回も、業者さんの行き来も活発。で、おそらくは初日よりも、もっと道路側から、まるで先ほどまでいた通行人であるかのように、奥の方から赤フードパーカーの旬くん、登場しました。本当に、日常から、こちら側の世界に入り込んだ感。

フィリップが母を揶揄するような腰振り、今日は控えめでした←

初日はさっぱり理解できなかった歌の意味、分かってきたものもありました。

白石くんの歌う「赤い花摘んで あの人にあげよ」は、ラブソング扱いだったのですね。アンジェの城門を開けるためだけの、その場かぎりの結婚とはいえ、2人の急激なラブラブに、そそのかした周りのお口もあんぐりさせるほどの、メロメロっぷりをおもしろおかしく伝えるための歌。だから「白い花摘んで あの人にあげよ」は、アンサーソング、という意味合い。

白石くんは、白い花パートの時、優しくイチャる感じで、彼女の歌を包むように、口パクで歌を同じように歌って、「そうそう。いいこいいこ。その調子!」っていざなっているかのようでした。

パンフレットを読んで最も印象的だったのが、鋼太郎さんの言葉で、自分の子どもが生まれてから、考え方が変わった、というところ。
次の世代のことを考えたとき、きっと鋼太郎さんは、子役の子に、この歌を歌わせたいと思ったのだと思う。

「ぼうや 強く生きるんだ
広いこの世界 おまえのもの」

だけどアーサーの前で繰り広げられている現実の光景は、私利私慾に蝕まれた大人たちの戦い。私たちの現実世界でも戦争はすぐ隣で起きており、国内でも憎悪が飛び交い、きな臭い準備のニュースが毎日更新されている。でも、それでも、この世界は、わたしたち如何でどうとでも変えていくことができる。
反戦の思い、次世代へ残すのに、今よりも少しでもよい状態で、と願うのは、鋼太郎さんもわたしも同じだと思いました。

コンスタンスが歌った涙そうそうのシーンは、アーサーの面影を探して彷徨い続ける彼女の幻覚が見せた風景なのだろうと思いました。

1幕で前回も今回も印象に残った台詞は、
「わたしがわたしである限り
わたしは、わたしだ。」というようなもの。
どこにいても、どんな時代でも、周りに誰がいようと、自分を見失わない限り、、ということかな、と。

はっとさせられたのは、敵と味方というのは、くっきりはっきり線が入っていて、真っ二つに分かれているわけではないということ。

「わたしにとって、平和は戦争」という言葉も、今のウクライナとロシアも、親兄弟や夫婦で国同士が敵国となってしまったら、どちらが勝っても負けでもあり、誰が勝っても自分には死を意味することとなり、身が引き裂かれるような思いを今現在もしている人が大勢いるということ。山崎豊子の『二つの祖国』のことも思い浮かぶ。戦争は、どちらかへの恭順を強いることとなる悲劇を生む。

衣装のことでいえば、初日は、2幕もずっと赤パーカーのフードも見えていて、赤が毛皮の下からチラチラしてたけど、今日は貴族諸侯と同じブルーグレーのマーブルのインナー?でした。

最後、銃を突きつけられてから、いったんは剣を構えるも、放り投げ、そして毛皮、鎧、、と次々と武装を解いていき、そしてまた日常の象徴でもある赤パーカーに戻り、渋谷の雑踏にあのあと紛れていくのだろうと思わせる演出。

どうしても、観客の方に目を向けたフィリップに拍手を送りたい気が初日はしていたが、この演出を前よりは受け入れられるようになった。







センブロC列の破壊力ヤバー✨✨✨
特に、ソールズベリーの喉元に剣の切っ先を突きつけるとこ‼︎‼︎‼︎劇場の空気ごと痺れてた!目ヂカラと気迫の緊張感たるや!


きゃー‼︎‼︎
かっこよすぎて失神しそうになりました。

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