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時間と意識

 毎回というか一度意識からはずれると自分が大きく変わる。例えば記事の投稿時間、休みの日になるとズレていくのはもはや恒例行事。現に14:30ぐらいになってようやく原稿を書き始めている。noteの動きも静かなのでしれっとした顔で投稿をし続けることができるが、まわりに対して申し訳ないという気持ちよりも自分がいつもよりズレたことをしていることに恐れを感じている。なんとも言えないこの感じ、習慣が根付く前に変えたいなと思うがなかなかうまくいかない。

 記事の投稿時間と言うのはかなり不思議な存在だと最近思った。というのも投稿者側からはすごく気にする要因であるものの、見ている側からしたらそこまで気にしないということだ。ブログと違いSNSでは色んな人のnoteをタイムラインで見ている。同時に見ている。決して自分だけのためにnoteを見ているというわけではないのだ。だからある人が投稿を思いっきり忘れていたところでも他の方々のnoteに目がいき、後から投稿されたnoteを見て「そういえば、そうだったね」で笑ってすませられる。よくよく考えてみれば一般的な人は毎日更新をするとは限らないのだ。書きたいから書く。その積み重ねのように思う。

 対して自分は「毎日」とプロフィールに書いてあるように決めてしまったし、この時間に行けばこの更新があると覚えられるようにしたい。だからこそ午後になってようやく書き始めるときは「早く書かなきゃ」と「なにか・・すいません><」の思いが交錯する。まぁ、これがプレッシャーを与えて書けなくなる要因になりそうな恐れを感じていますが(笑)

・・・こう考えると気にしすぎているのは自分だけかもしれない。「休みを休みながらも休んでいない自分」を作りたいと思いながら今日もnoteを投稿する。


#日記 #エッセイ #コラム

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