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見た夢を思い出せないあの感じ、パンキッシュ・サウンドトラック。Wool & The Pants『Wool In The Pool』レビュー

 誤解を恐れずに言えば、本アルバムは全編を通してインタルード的である。日々耳に入る、あらゆる音と音の間奏だ。そこで言えば、音楽性は捻くれているようでも、そのジャケットはとても素直な看板となっている。喫煙という行為もまた、生活と生活のインタルードのようなものではないだろうか。

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 Wool& the pantsの『wool in the pool』が今回初CD化し、サブスクリプションでも配信が開始した。そのファーストインプレッションは、聞いてもその感触がすぐに消え去ってしまうような朧げなものだった。坂本慎太郎の2019年フェイバリットアルバムに選ばれるという、これ以上ない名誉を受けたサウンドスケープを、荒削りな部分も感じられるが2020年代のローファイ・ヒップホップ的な感性を携えた「空洞です」と言うのは言い過ぎだろうか。
 しかし、日々洗練された新しい音楽のリリースの情報量過多に疲れきっていた自分には非常にフィットした作品である。ミニマルなループと、歪なイコライジングによる音のくぐもり、異国の言葉に聞こえるようでいて確かに日本語とわかるボーカルの、その心地よい物足りなさが頭にもやをかけるようで、油断していると気づいたらアルバムが終わってしまう。そのリスニングの感覚は夢を見た後に近いのかもしれない。何か見たような、でも思い出せないあの感じである。

 そんな曖昧な輪郭のサウンドトラック的とも言える味付けの一方で、土台はヒップホップやパンクを感じさせるのが面白い。そもそもボーカル/ギターの徳繁はヒップホップをルーツに持ち、上述の通りドラムなどはトラックっぽい感じ強い。しかもそのミニマルな感じを「始まりと終わりが曖昧な感じ」が表現されるように効果的に使っていて、聞き手に素っ気ない態度を取るような面白さがある。また、彼らのインタビューでは「Bottom Of Tokyo」以外はボーカルの徳繁が自宅で収録していることが確認できる。しかもジャンクの機材をわざわざ使用しているなど、知識や技術先行型の製作とは異なる手触りと閉塞感が、より一層の異物感を醸し出す。
 加えてその歌詞である。事象を淡々と切り張りしている感じが素っ気なさを余計に引き立てる。特に注目されているのは「Edo akemi」だろう。暗黒大陸じゃがたらの「でも・デモ・DEMO」のカバー?であり「日本人って暗いね 性格がくらいね」とぼそぼそ声の日本人男性が平坦に歌う。本家とは似ても似つかないエネルギーゼロの、より暗く、深く落ち込んでいく異様な様は、ともすればking kruleとも共通するような謎のパンク精神を感じるし、なによりも温度感がまるっきり違うあの曲を大胆にもカバーしようというトライ自体が最高の意思表明であり、それを評価したい!

 「パンク」と「サウンドトラック」という、一見相容れない要素が独特の相乗効果を生んでいる。結果、何度でも繰り返し聴けて、何度でも不思議な異物感を味わうことができる、パンキッシュ・サウンドトラックが誕生したと言えよう。坂本慎太郎の共感を得るのも納得だ。



 

 

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