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『聲の形』は感動する作品で、西宮硝子は優しいいい子なのか

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僕は当時「週刊少年マガジン」誌上で『聲の形』を毎週読んでいました。さらにその後アニメ映画も観ています。

今回、テレビ放送されたアニメ映画を観て、さらに原作単行本全巻を再読し、僕の中で作品に対する捉え方が変わった部分がありました。

僕が思ったのは「『聲の形』は感動する作品で、西宮硝子は優しいいい子なのか」という感想に対する違和感でした。僕はそのような感想をTwitter上で見かけたときに、何とも言えない抵抗感を覚えました。その理由を考え、二日ほどしてぼんやりながらもまとまりました。そのことについて書き残しておきたくなったので、ブログだけではなくnoteにも投稿したいと思います。

内容にも踏み込んで書いていますので、ネタバレが嫌な方はご注意ください。

『聲の形』は感動する作品で、西宮硝子は優しいいい子なのか

『聲の形』の評価を考えるとき、それがどのような形であっても、結局は次のような点を考えることに繋がると思います。

『聲の形』は感動する作品で、西宮硝子は優しいいい子なのか。

最終的に将也は過去の行いを反省し謝罪、硝子はその彼を受け入れるというストーリーラインは美しいもののようにも感じます。少年の成長が描かれていると言えばそう。さらに聴覚障碍者に対する、差別・偏見・軽視・抑圧を描き、その実態を周知させたという価値はあるでしょう。

でもそこにあるのは、第三者の視点です。

『聲の形』には様々なキャラクターが登場します。物語はおもに将也の視点で進行しますが、時折ほかのキャラからの視点も挿入されます。植野、川井、結弦たちですね。そのために主人公以外のキャラの内面を知ることができるようになっています。

僕が違和感を覚えたのは、ここに硝子の視点が描かれていないということです。硝子の内面は、他のキャラとの関わりの中で描かれます。彼女一人だけが映るシーン/カットもたくさんありますが、その視点は三人称視点であり、一人称ではありません。つまり彼女の内面は、他のキャラとの関わりの中から推測するしかないのです。

しかし、彼女はいじめを繰り返し受けており、他の人とのトラブルを避け、そのためにすぐ謝罪する行動をとります。硝子は将也の謝罪を受け入れたことで、「優しい」とか「心が強い」とか思う人もいるかもしれません。

でも僕はそうは思いません。

学校でいじめられ、抑圧された人間が、人とコミュニケーションを取る時にどのような姿勢になるか。どのような態度をとらざるを得なくなるのか。『聲の形』にある視点は、硝子のものではなく、彼女と接する人たちのものです。彼らは自分の都合で硝子のことを解釈し、その解釈に基づいて行動します。

誤解を恐れずに言えば、僕はそんな彼らを拒絶的に見るけれど、そんなに強い言葉で否定しようとは思いません。それは誰だってそういうものだろうと思うからです。人はやはり自分に都合のいいように物事を解釈するし、ネット時代なら、そう解釈するために有利な情報を集めることも簡単です。

やはり問題は硝子の心理描写が排除されている点です。硝子は結弦が将也の写真を撮り拡散したことに怒った表情をするけれども、そのときにどのような思考があったのかという、言葉を伴った心理描写はされません。ほかのキャラはいくらでも心理描写が言葉で明確に描かれているのにも関わらずです。

硝子は声を出して話すことは苦手にしています。でも、別に何も考えていないわけではないのです。将也にプレゼントを渡したり、そのときにはポニーテールにしてみたり、結弦や佐原とプールに遊びに行けば笑顔も見せます。

そのとき彼女がどんなことを考えていたのかは、行動と表情からしか察することができないようになっています。僕はそのことに強い不満を覚えます。そのときにどのようなことを考えていたのか、コマの中に言葉で書けばいいんですから。そのことをしていないのです。それなのに自分の行動で将也が傷ついたときには、長い間思い悩んだ表情をさせています。そのコマには「ごめんなさい」や「私のせいで」や「なんでこんなことに…」などという言葉はありません。(これは硝子の表情から僕が勝手に推測した言葉です)

僕は『聲の形』の最大の欠点はここにあると考えています。欠点でなくて瑕疵と言ってもいいかもしれない。作品の根底にあるのは、障碍者ではない人の幼稚な自分勝手さと決めつけにも似た態度です。

つまり、『聲の形』には将也から見た硝子の姿は描かれているけれども、硝子から見た硝子自身の姿は描かれていないのです。それで読者に、彼女の姿を見せたと言わんばかりの態度を取っている。いわば車が片輪だけで走っているようなものです。

僕が好きな英語の言い回しに「Don’t put words into my mouth.」というものがあります。直訳だと、「私の口の中に言葉を入れないで」となりますが、ニュアンスとしては「言いもしないことを言ったなんて言わないで」となります。

SNSでよく起きている問題が『聲の形』にもあると思います。将也(たち)から見た硝子の声の形は描かれました。できれば、硝子自身の声の形も見てみたかったと思います。

僕は以上のような理由で『聲の形』に否定的な感情も持っています。それでも全体として見れば、そんなに悪い作品だと思っているわけでもない。作品の思想には嫌悪感を覚えるけれど、隠れていた問題を表に引っ張り出してきたことは事実です。また、表現ではなく、構成や展開、盛り上げ方など漫画の描き方は上手いと思います。

でもそれは、僕が「隠れていた問題」などと思ってしまう/認識していたからなのかもしれません。というかそうです。僕はそのことをについて考え、反省的に振り返るためにも、『聲の形』について「感動した!素晴らしい作品!」などと声高に吹聴しないようにしています。

おわり。

ブログにはさらに長文の感想も書いています。

https://www.yomuhon.com/a-silent-voice/

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