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植物に学ぶ本

思考・嗜好とは不思議なもので、単に表紙やタイトルに惹かれて手にしたものでも、書かれている内容が前後に読むものとびっくりするほどリンクしていることが多い。それは私が学者の本を好んで選ぶことに起因するせいかも知れないが、全く前知識なく、初めて訪れた書店やWEBサイトでも起こり得るので面白い。

この新しい出版社「生きのびるブックス」から2022年11月に初版発行され、2023年2月既に第4刷りとなる藤原辰史の『植物考』。カバーを飾る美しい強さのみなぎる薔薇は自宅に着いてから石内都の写真だとわかり、あゝなるほどと納得した。

早々に語られる著者の以下の言葉は、つい昨年末頃読んだ社会学者ウォーラーステインの言と一致していることに触れ、あゝやっぱり読むべくして読まされているのだと感じ入った。

「私が本書で試みようとしているのは、かつて鉱物や植物や動物の真理を究明することも、 演劇や音楽を論じるのと同様に人文学の営みであった時代を、過去のものにしないことである。別の言い方をすれば、鉱物や植物や動物の真理を究明することが自然科学者だけの営みになった現在の高度分業社会を例外とみなすことである。そうして、人文学の視点から植物とはなにか、植物と人間とはこれまでどのような関係にあり、またどのような関係を作りえるのかについて、歴史学や文学や哲学などを横断しつつ、考えたい。ちなみに、 私は、全国の文学部に「生物学科」を、全国の自然科学系学部に「歴史学科」を作るべきだという主張の持ち主である。」

「もちろん、人文学の領土拡張を自然科学に要求しているのではない。歴史学にかぎってみても、未発見の史料の割合は生物種の比ではない。自然科学者が貢献できる余地は多い。 お互いのジャンルにもっと関心を持つことは、自分の国境線を主張し合うよりも、お互い の「共進化」にとっても前向きに働くと私は考えている。」

読みながら、以前そのビジュアルが好きで購入した『種子のデザイン』LIXIL出版が脳裏をよぎった。植物が賢いことをあらためて知る機会となった。

「たんに人間が生きる世界であまりにも植物や植物性がないがしろにされているという背景があるからだけではない。植物的なふるまいを哲学者や思想家や歴史学者がもっと摂取することで、人間界の根源的な宿痾しゅくあを分析し、その処方を考察することができると思うからだ。」

植物を考える、植物的思考とはいかなるものか。それはベジタリアンや地球環境活動家の側の思考とはまるで違う、むしろ真逆とも言える謙虚で崇高な考え方。人間の考えるケチな権利や法則・ルールによらない自然に委ねる思考と言える。天災や人災にさいなまれている今だからこそ、強く生きのびて来た植物に学ぶべきでは。

「人類の祖先が葉と根を捨てたときの痕跡を自分のうちに探る。そんな思考実験によって、自己を相対化してみることも、こんな時代だからこそ無益ではないだろう。」

「人間の根について考えることで、ようやく人間は、歴史の中で、とりわけ現代史の中で、 一部の権力者たちの取引や戦争によって強制的に移動を迫られ、命の危険に晒されながら故郷から離れ、別の土地に根を生やそうとしてきた人たちの心の内を知るためのとば口に立てるのではないだろうか。」

「人間とはたとえ短期間でも滞在した場所に根を張り、葉を茂らそうとする生きものであることを前提に考えなければ、現在の高みに立った目線から過去の事象として消化されてしまう。せっかく伸ばしていた根を、銃を突きつけられて引っこ抜かれることが、いや、外部からの力によって自分の根を自分で引き抜くことが、どれほど残酷で切ない行為であるのか、その感覚がなければ、あの悲劇の悲劇性には迫れない。」
歴史に残るあのジェノサイドが今現在も学ぶことなく繰り返されているとは知らずに書かれた言葉が重く響く。

「植物は、太陽エネルギーを生命のエネルギーに変換できる唯一の存在である。太陽が崩壊したあとの地球はもはやただの岩のかたまりであるのと同様に、地球上で太陽光をエネルギーに変えられる唯一の生命体である植物が存在しない地球は、やはり荒涼たる岩の惑星である。」

「物理の授業でいつも私を苦しめてきた「摩擦のない平面」という仮定は、人文学にとってはディストピアである。生命とは摩擦である。ざらつきとは存在である。ひっつき虫が セーターにからむ、あの引っかかりである。 」

根から茎・花、葉へと考察を巡らせ、種に辿り着く。

「種は動物にとっての食料になるが、人間にとっての言語だって精神の糧だ、といえなくもない。そう、言葉のモデルは種なのだ、と見栄を切ってもいいのだけれど、留保が必要だろう。種は言葉よりも優れた性質がある。ステルス性だ。これほど存在感を消し、 風や虫など別の物体と一体になることのできるものはすくない。 そう考えると、種の遺伝情報をちょっと変えたくらいで所有権を主張する人間の行為が、 とってもちっぽけでみすぼらしく感じる。種は単なる遺伝情報のカプセルではない。土、 風、川、昆虫、鳥、そして人間という共有物と一体となったり、これらを適宜利用したりして地球を覆う霧のようなものだ。実験室の人間とは自然とのかかわり方のスケールが根底的に違うのである。」

このような考え・思考の人が国を動かし導く側の人であれば良いな、と思った。

※参考ニュース


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