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夢もの本

イタロ・カルヴィーノ、ウンベルト・エーコと並んで、20世紀イタリアを代表する作家であるアントニオ・タブッキの『夢のなかの夢』を読んだ。2012年3月25日の朝、リスボンでその68年と6ヵ月の生涯を閉じたと訳者の言にあるから、ほんの十数年前まで同じこの時代に息をしものを書いていたわけで、どうもその作風からか偉大さからか現代ではなく、もっと以前に生きた作家のように感じられてならない。

愛娘から贈られたという手帖に、20の夢を綴った連作断章短篇から成る本書、Antonio Tabucchi/Sogni di sogni, Sellerio editore, Palermo 1992 の全訳。日本では青土社から1994年に刊行した和田忠彦訳『夢のなかの夢』を岩波書店で2013年に初文庫化され、さらに1997年新装版テクストを底本として若干修訂し、2021年4月5日に第4刷目が発行されたおかげで、私もありがたく手にする機会を得られた。

夢もの、夢めいたものに、目がない。 
不思議な、不可思議なものに、深い興味がある。
しかし、湿度はなく、猟奇的に走らず、おどろおどろしさとは無縁で、似非スピリチュアルをかざさず、むしろ、淡々と無機質なまでに不条理で、時に見方を変えれば滑稽味さえ帯びるほど可笑しく、それでいて普遍的な哲学・教え・気づきがあるものが私は望ましい。なので、大衆人気のミステリーやサスペンス、ホラー味が増す方向ではなく、まだファンタジーやSF傾向に転んで行く方が好ましい。

タブッキの研究対象であり、最も影響を受けたという、〈ほんとうの虚構〉へ辿り着こうとした今世紀ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの引用200のコラージュから成る『詩人は変装なりすましの人』(1988年)の中にある一文、

「ひと言で現代芸術の主要な特徴を要約しようと思えば、それは〈夢〉という言葉のなかに完璧に発見できるだろう。現代芸術とは夢の芸術なのだ。」

をはじめ、啓発誘惑されたそれぞれの言葉や作品、史実が契機となって、いかにも敬愛する芸術家たちが見たであろう夢を紡ぎ出したタブッキ。薄っぺらで陳腐な想像力からなるスピンオフなどではなく、現コピペAIでは不可能な人となりやその創造の啓示される瞬間を切り取り追体験させるような夢物語。わずか2枚4ページほどで語られる、しかも三人称の閉じられた世界、孤独なランボーや洒脱なドビュッシー、奇異なフロイトが動く生き様が浮かぶ幻燈館に紛れ込んだよう。等身大の蝶となったオウィディウスの黄色と空色の見事な羽ぶりや周囲をあまさず視界に収めた球形の巨大な瞳の様子、また銀色に輝く月や草原、砂丘、純白の羊などの描写が美しく読後も脳裏に映し出される。

現実より夢を見ている方がよっぽど面白いと昔思っていたが、また最近、面白い夢が増えて来た。数十年間、枯渇してしまったのかと感じていたから、嬉しい。一周回ったということだろうか。そんな時にまた扱いの難しい夢に正面から取り組んだ、本物の作家の小品佳作に出会えて良かった。


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