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物理脳に触れる本

1905年、26歳のアインシュタインがまさに次々と論文を発表した輝かしい年、その「時間」の概念に取り憑かれていた彼が見たであろう30通りの時間軸の異なる不可思議な夢。

夜明け6時あたりのプロローグから始まり幕間の間奏寸劇のように挿まれる、ほっと現実に戻る親友ベッソーとのひと時からなるインタールード、そして出勤時間を迎える午前8時頃のエピローグで幕を閉じる。

実際アインシュタインが勤務していたというベルンのスイス特許局が舞台。徹夜明けなのか、たった2時間の間に約2ヶ月半もの間の夢が流れ脳内回想するような心憎い構成。

あたかも一つの連なる夢であったかのような余韻を残す。長い時間が過ぎていたのに、時が止まっていたような、過ごした時間が短く、あっという間に過ぎたと感じる。この小説自体がまさに相対性理論を表しているような?そんな読後感を抱かされた。「五月四日」も「五月十四日」も同様の概念原理がベースとなっているように思われた。

おそらく、作者アラン・ライトマンは現役の(詩人肌の)理論天文物理学者〈ハーバード大学およびマサチューセッツ工科大学(MIT)の教員を務め、現在はMITの人文科学実践教授〉なので、アインシュタインの論文通りの「光量子仮説」や「分子の大きさの新しい決定法」や「ブラウン運動」、「特殊相対性理論」をさり気なく夢の描写の中に克明に忍ばせているのだろうが、こちらの頭では、せいぜい、好きな人と過ごす時間は束の間に感じるなどと聞きかじった時間理論を持ち出して来るのが精一杯。天才・博士は見る夢まで論理的なんだなぁと感心するばかり。

読んでいて、私はイタロ・カルヴィーノやミヒャエル・エンデ、レーモン・クノー、ボルヘスなどの実験的な作品作風がよぎって仕方なかった。やはり解説にカルヴィーノの影響を評しているものが多く納得共感した。知識やそのエスプリから著者がヨーロッパ生まれかと錯覚したほど。

印象に残った箇所を以下に記すと

「信心深い人びとは、時間を神のまします証拠とみなす。創造主なしに完全なものが作られるはずはないからである。普遍的であるものが、神の恵みでないはずはない。 すべての絶対的なものは、唯一の絶対的存在の一部である。そして、絶対的なもののあるところ、かならず時間がある。このようにして、倫理哲学者たちは時間を信念の中心に位置づけた。時間はすべての行動を判断する基準である。時間は正邪を映しだす鏡である。」

「この世界の芸術家たちは恵まれている。予測不可能性こそ、絵画や音楽や小説の生命いのちであるからだ。意外な出来事、説明や先例のないハプニングに、彼らは狂喜する。」

「大半の人びとは、瞬間の中に生きる方法をすでにまなんでいる。もし現在に対する過去の影響が不確実であるなら、過去にこだわる必要はない。そして、もし未来に対する現在の影響がわずかなものであるなら、その結果に照らして現在の行動をはかりにかける必要はない。むしろ、ひとつひとつの行動は時間の中の島であり、独立して判断すべきだ。」 

「記憶のない世界は、現在という瞬間の世界である。過去は、本の中、記録の中にしか存在しない。自分自身を知るために、だれもがこれまでの自分史を書きしるした 〈一代記〉を持っている。そのページを毎日読むことによって、だれもがあらためて両親の身元を知り、自分の育ちがよいかわるいか、学校の成績はどうだったか、これまでの人生でなにをなしとげたかを知ることができる。

・・・中には〈一代記〉を読むのをまったくやめてしまう人たちもいる。彼らは過去をふり捨てた。たとえきのうの自分が金持であろうと貧乏であろうと、教育があろうと無知であろうと、高慢であろうと謙虚であろうと、恋をしていようと孤独であろうと ―――それは髪をなぶるそよ風ほどにも重要でない、と判断したわけだ。こうした人たちはあなたの目をまっすぐに見つめ、あなたの手をしっかりと握る。こうした人たちは、青春のようなしなやかな足どりで歩く。こうした人たちは、記憶のない世界での生きかたをすでに身につけている。」

「未来が決定された世界では、人生は一列に部屋のならんだ果てしない廊下のようなものである。どの瞬間にもひとつの部屋だけに明かりがつき、つぎの部屋はまっくらだが準備ができている。われわれは部屋から部屋へと歩き、明かりのついた部屋、つまり現在の瞬間をのぞきこんでから、足を進める。その先の部屋がどんなものかは知らないが、それを変えられないことは知っている。われわれは自己の人生の見物人である。」

「時間の中心には近づかないほうが賢明だというものもいる。人生は悲しみの器だが、それを生きぬくことこそ気高いのであり、時間のないところには人生もない、と。それに反対を唱えるものもいる。自分は永遠の満足のほうを選ぶという。たとえその永遠が、標本箱にピンで止められた蝶のように、凍りついて動かないものであっても。」

※今回はじめて知ったアラン・ライトマンの本書は、このnoteの住人、信頼できる読書家であるミランヨンデラさんに教えていただいた素晴らしい本でした。科学エッセイ集や長編も面白そうなので、引き続き読んでいきたい作家さんですね!大変良い作家さんの作品をご紹介いただきありがとうございました。この場をかりて、御礼申し上げます。

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