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癖の強い名翻訳本

驚くばかりの博識で知られたというマルセル・シュオッブ(1869〜1905/享年37歳)は十九世紀末のフランスの作家。

礒崎純一氏の解題によると、シュオッブは死後、とりわけ戦後(第二次世界大戦後)の長らくは、ほとんど忘れ去られていた存在。それが、今世紀のあたま頃から実に目覚ましい復活を遂げたのだという。

目立たないながらも、大正期からこの名文家の誉れ高いシュオッブの作品には、日本の名だたる仏文学者や詩人、作家たちが、腕をふるってまさに「彫心縷骨」、洗練の極みを凝らして翻訳を競っていたという。そんな珠玉の12人の翻訳者の手による名作名訳を、戦前期の古いものを軸にすえて一書に纏めたものが、本書『夢の扉』と力説されている。

訳者の1人である作家の日影丈吉は、シュオッブのことを、「現実と引っかかりがない」、「自己の日常を忘れた現状脱却の作家」、「まことに奇妙な作家」と評していたり、詩人で英文学者でもある日夏耿之介ひなつこうのすけは、シュオッブについて次のように評している。「その趣味は文学の酸いも甘いもかみ分けて、もういゝ加減な時花り物、カンの鈍いプロフェッサアや学の無い江湖家が賞美する、あの莫迦長々しい、いやに神経をチカチカさせる、物欲しげな下種ゲス文字といふものの跳梁跋扈に飽き飽きした人生の玄人に、そつと差上げて味はつていたゞきたいといふやうな文学の一である。」

また澁澤は、「マルセル ・シュオッブの『架空の伝記』は私の好きな本だ。古代から近代まで、二十人ばかりの人物の生涯を、著者の筆が自由に描き出し、美しい短かい文章にまとめている。珠玉の文章とは、こういうものであろう」と記しており、「幻想文学」誌のインタビューの中で、「ぼくは シュオッブには非常に親近感を抱いていて、学識というか知識といいますか、それとボエジーとの合体、考証とポエジーの合体みたいなものもできればやりたいですね。結局、芸術家小説といいますかね」という重要な発言ものこしているそうだ。

そしてやはり、一番響いたのは影響を受けたと自ら語るボルヘスの分析。シュオッブの 『少年十字軍』について「ヒンドゥースタンのある種の書物によれば、宇宙は、個々の人間の裡に存在している不動の神性の夢にすぎないという。十九世紀末、この夢の作者であり役者であり観客であるマルセル・シュオッブは、何世紀も昔にアフリカやアジアの孤独の中で夢見たものを再び夢見ようとする墳墓を取り戻すことを切望する子供たちの物語である。」と作品の魅力と特色を端的に述べている。

また、 ボルヘスが『架空の伝記』のスペイン語版に寄せた序文の一部(訳/垂野創一郎 )で、こう語っているという。

「幾冊かの本のためにとうとう《ドン・キホーテ》になったあのスペイン人のように、 シュオッブは文学に携わりそれを富ませる前から驚くべき読書家であった。運命により彼が生まれたフランスは世界でもっとも文学的な国だった。運命により彼が生まれた十九世紀は前の諸世紀にひけをとらなかった。ラビの家系に生まれ、東洋の伝統を受け継いで、西洋の伝統と結びつけた。深遠な蔵書がいつも傍らにあった。ギリシア語を習得しサモサダのルキアノスを翻訳した。多くのフランス人と同じく英文学への愛を表明した。スティーヴンスンの作品とメレディスの精妙で難解な作品を訳した。偏らぬ目でホイットマンと同時にポーを讃嘆した。フランソワ・ヴィヨンがあやつった中世の隠語に興味を持った。『モル・フランダース』を見出して翻訳したが、それはきっと彼に環境を捏造する技法を教えたことだろう。『架空の伝記』は1896年の作品である。これを書くにあたって彼は面白い方法を発明した。作中人物は実在するが、出来事は現実離れし、幻想的であることも少なくない。この書の独特の味わいはそうした揺れ動きの中にある。 世界のあらゆる場所にシュオッブの信奉者は存在し、小さな秘密結社を作っている。 彼は名声を求めず、あえて《happy few》のため、少数者のために書いた。」

仏陀の伝説を基にしたといわれ、あの江戸川乱歩も愛読したというシュオッブの代表作『黄金仮面の王』(訳/松室三郎)もさることながら、

私はこの書の中では、人類絶滅の風景が描かれる『大地炎上』(訳/矢野目源一)がいちばん印象に残った。

過去なのか未来なのか、終わりの始まりの物語。昨今頻繁に見受けられるYouTube上の都市伝説や陰謀論よりも、よほど有り得そうな信憑性や神話性が漂っている。

「世界をこめたこの静寂と刻々に炎上する火焰とは魂も消え入るばかりに二人の身を縮めさせてゐた。・・・」

「何故にこの宇宙が破滅するのであらうか。」

罪を識らぬ人が今際の際に知る生きることとは、
なんと過酷で理不尽で恐れ多いことか、
もっと深く重く強く胸に刻まなければならない。
なんといっても覚悟が足りない。

https://www.kokusho.co.jp/sp/isbn/9784336075949/


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