Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁-20

「悪いが、もう一度言ってくれないかな。どうも年のせいか、耳が遠いものでね」
部屋の主は視線を逸らせたまま黒革の椅子にふんぞり返り、せわしなくパイプをいじりながら返事をした。
「ですから代表、エルヴィラの襲撃は失敗しましたとご報告しているのですが」
男はいくぶん顔を青ざめながら、部屋の主に先ほどいった言葉を繰り返した。
男の説明を聞いた部屋の主は、視線を逸らしたまま「フーッ」とため息をついた。
視線を男が立っている方向に移すと、手にしていたパイプを口にくわえる。深く息を吸い込み、思い切り煙を男に吐きかけた。
男はなにか言いたいのをこらえて、されるがままで立ち尽くした。
(うわっ、代表はかなりお怒りのご様子だ)
男のすぐ後ろに立っていた女性は、部屋の主に悟られないよう、両掌を後ろに組み、指を動かしている。
「同志ウンハイル、あなたはつい先日、私になんといったか覚えておられますか?」
「ウンハイル」と呼びかけられた男性は、その瞬間「ひぃっ」と小声で言うと顔を引きつらせ、視線を彼に向けると、直立不動の姿勢で返答した。
「はい代表、確かにエルヴィラは常日頃からボーッとしていることが多く、なにをされてもわからないので、与しやすいと判断しました」
「ええそうです代表、あの皇女は護身術を使うとは聞いていますが、あまり身体能力は高くないので、たいしたことはないと判断しました」
ウンハイルに続いて発言したのは、「代表」に煙を吐きかけられた男のすぐ後ろに立つ女性だ。彼女は白い丸首のシャツの上に、紺色のパンツスーツを着用している。
2人の言い訳を、代表と呼ばれた男は目を瞑って聞いていた。しばらくの間指で机をコツコツと叩いていたが、やがて目を開き、丸フレームの眼鏡の位置を指でずらした。
「同志ウンハイル、そして同志シュメルツに質問する」
「は、はい代表」2人は同時に返事をすると、背をピンと伸ばした。
「あなたたちの事前の調査では、あの姫君は日頃から生気に乏しく、駆使する護身術もたいしたことがないと言うことでしたね。ところが……」
「面目ないと思っております」
「申し訳ありませんでした」代表から「同志」と呼ばれた男女2人組は、同時に言葉を発し、両手をきれいに伸ばした状態で、深々と代表に一礼した。
2人からすれば、現時点で見せられる、精一杯の誠意のつもりだった。だが2人のとった行動が、彼の怒りに火をつけた。
「『面目ない』だと? 『申し訳ありませんでした』? ふざけんな!」
「代表」は素早く椅子から立つと、これまでの丁寧な言葉遣いから一転して、2人に罵声をあびせた。つかつかとウンハイルのそばに歩み寄ると、右拳で彼のこめかみを殴りつけた。ウンハイルは「ウッ」とうめき声を出し、床に敷いてある絨毯に倒れ込む。代表はそれでも怒りがおさまらないようで、自分の足でウンハイルを、何度も蹴りつけた。
「代表おやめください! 暴力はいけません!」シュメルツは懇願するが、ウンハイルへの暴行は続いた。
「『暴力はいけません』だと? 笑わせるな! 今度の作戦の失敗自体、私に対する暴力だろうが!」代表は、大声で怒鳴り散らした。
「おやめください! 同志ウンハイルを殺す気ですか!」彼女は代表に声をかけながら、彼が着ているスーツを観察した。
一見して高そうな布地のスーツだが、間近で見ると「これはスーツなのか?」と思えるほど安っぽい生地と仕立だ。つまり、彼は最初から自分たちに暴行を加えるつもりで、この部屋に呼び出したという事実に、彼女の細い身体は震えが止まらなくなった。男性にこれだけの暴力を振るうのだから、女性の自分はなにをされるのか。
「だ、代表……スーツが汚れます」殴られ蹴られながらも、ウンハイルは横暴な主人に許しを乞うた。その様子を見ていたシュメルツの胃を、痛みと吐き気が襲う。
「お、お願いです……勘弁してください」ウンハイルの顔は、血と涙と鼻水、そしてよだれで見分けがつかない状態になっていた。
「もういい。当分の間、貴様の顔は見たくない。しばらくの間、家で待機していろ」
代表の指示をこれ幸いとばかりに、ウンハイルは這々の体で部屋から出て行った。
「シュメルツ、お前にはまだ用件が残っている」
「勘弁してください。私は本業があるのです。遅れたらどうなるか、代表だってご存じの……」彼女が言い終わらないうちに、代表は彼女の手首を掴むと、強引に部屋の隣にある小部屋に引きずり込んだ。
「やめてください! イヤ、イヤですこんなこと! やめて──! 助けて──!!」
だが彼女の絶叫が、部屋の外にいる人間に伝わるはずがなかった。仮に伝わっていても、どうすることもできなかったであろう。
……それから1時間後。
彼女は目を真っ赤に泣き腫らしながら、部屋を出たのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?