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写真を印刷して気づいたこと、変わったこと

ここ1年、フィルムを使うカメラでいろいろな写真を撮っています。
写真を撮った後は、

現像

ネガのスキャン

データ化

LightroomやLuminarで編集

といった手順で処理をして、最近はもっぱらLightroomで処理をしてデータ出力して完了、といった具合でした。

が、先日ちょっと思い立って額を買ってみたんです。

それも、百均で200円くらいで売っているフォトフレームではなく、「外枠から内側に向かってやたらと幅の広い台紙があって、例えば額の大きさはA4くらいなのに2Lサイズの用紙を飾るためのスペースしか空いてない」ような額。

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「フォトフレーム 額 ギャラリー」といったキーワードで検索してきて、出てきたのが
https://www.yodobashi.com/product-detail/100000001004279808/
このKenko AGY-2LSQ-NAという品や、

https://www.yodobashi.com/product-detail/100000001005881808/
この辺のましかく写真用の額。

特に真四角写真は、最近Mamiya C3で写真を撮る機会が増えましたので、「スクエアフォーマットの写真を印刷してみたいな」という欲求が出てきました。
(ただ、残念なことに写真を印刷して額に入れても、飾る壁のスペースが無い、という致命的な問題がありますが…)

その問題はとりあえず置いといて、ここ数日で写真を印刷して、『紙の媒体』でも観られるようにしてみました。

液晶ディスプレイは我が家にいくつかあり、デスクトップPCで使っている新しいディスプレイ、古めのディスプレイ、そしてWindowsノートにMacbook、iPhoneなどなど、様々な大きさと解像度と明るさのディスプレイがあります。

写真データを編集するLightroomは、もっぱらデスクトップPCの新しいディスプレイで使っていますが、当然のことながら別のディスプレイで見ると全然違った印象になります。

その点、紙で印刷した写真は、影響を及ぼす要素が部屋の明るさくらい。あと強いて言えば、額の色くらいでしょうか。

こんな具合でいろいろな写真を印刷して、額に入れて眺めて見るようになって、それ以前と比較して変わったことがいくつかありますのでご紹介します。

引き算しなきゃダメだ、と気づいた

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この記事を書いてるときにはまだ気づいてなかったんですが、昨夜
「次に印刷して額にいれる写真どれにしようかな~」
と選んでいるときに、

「…ん? なんか『印刷して額に入れたい』と思える写真が少ないような気がするな」

「いや、『気がする』じゃない、なんかほとんど印刷する気になれない。ディスプレイで見たときにはそんな事なかったのに?」

「なんでだ? …とりあえず、『ぜひ印刷したいフォルダ』『印刷してもいいかなフォルダ』『印刷しないフォルダ』に一時的に分けてみよう」

「(フォルダを並べて、一覧表示にしてしばし見比べて)…あ、そういうことか!?」

という具合で、実に曖昧というか自分でも『なんで理解できたかが理解できない』んですが、突如
・印刷したくない写真は、一枚の中に色々詰め込みすぎてて『自分でも何を撮りたかったのか、何を写したかったのかが解らない』写真。
・印刷して額に入れたい写真は、主題が小さくても、とにかく『自分が何を写したかったのかがハッキリ解る』という写真

ということがわかりました。

これは写真をはじめて1年間で、一番大きな『気付き』になりました。

多分、印刷して額に入れて壁に飾ってみる、というプロセスをやっていなければ、気付くことは無かったと思います。
また、「ましかく写真」に挑戦しなければ、このことに気付くのはもっと後になっていたかもしれません。

構図が変わった

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これは上述の『引き算』に気づいてから変わったものですが、『印刷する、額に飾る』という前提で写真を撮るようになると、例えば一枚の写真にいろいろな要素を詰め込まなくなってみたり、逆に中央部分を敢えて開ける構図に挑戦してみたり、ということが増えました。
『データ』としてPCやスマホで見ていた時と比べると、構図や『何を写したかったのか』をちゃんと考えて撮る事が増えてきてるような気がします。

ほかにも、
「額の縁との距離が○○cmあるから、ちょっとこの端っこにいろいろ入れると騒がしくなるな」
とか
「あの額に入れるとしたら、もっと主題になるものを小さくしようかな」
とか
「あの部屋のこの壁に飾るとしたら、大きめの額に入れたいな…よし、もうちょい寄って大きめの額に負けないような絵にしようか」
とかいう具合で、額も写真の要素の一つ、というような考えが生まれてきてます。

実際に100%実践できてるかというとそんな事ないんですが、フィルム1ロール撮るうち1/3から半分くらいは
「お、この構図は印刷してあの額に入れてあの部屋に飾ると良いかも」
と、ちょっとだけ頭に浮かぶようになってきました。


色調が変わった

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PCやスマホの液晶画面で見る前提だと、彩度も結構高め、Ektarで撮った写真のような感じにしがちだったんですが、実際に印刷して部屋に飾ってみると、
「この被写体だと、もうちょい落ち着いた色合いにしても良かったかな」
と感じる事があります。

逆に、モノクロの時などは
「もう少しコントラスト強い方が映えるな」

「ちょっとコレは全体に色が多すぎて、ごちゃごちゃし過ぎて何を撮ってるのかわかんない」

「主題を引き立たせるなら、全体をもっと暗くしても良かったかな」
という感想を、自分の写真にしたいして持つようになってきてます。

いっそのこと、同じ写真のスキャンデータに対しても、
・SNSなんかで公開するための編集
・印刷して部屋に飾るための編集
といった具合で2パターン作っても良いんじゃ無いか、とすら思うようになりました。

本来だったら、印刷向きの編集データをSNSで上げるのが良いんでしょうが…
今度からそうしてみようかな…


気分が変わった

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シャッターを切る際、構図を考える際、露出を考える際だけじゃなく、フィルムを選ぶ際にも、
「このロールで良いのが撮れたら印刷して額に入れて飾ろう」
と考えるだけで、これまでと比較しても写真を撮るという行為自体が楽しくなってきてます。

従来は「編集済みデータが出来たらそれで終わり」だったのが、その先の工程が出来た事で、
『額に入れて飾るまでが写真撮影』
になりましたので、その出来上がりを想像しながら作業をするようになってます。

例えれば、鍋料理の具材を食べてそれでおしまいだったのが、締めのおじやまで考えて食べるようになった、とかそんな具合かもしれません。

我が家ではもつ鍋をするときに、数年前からシメはちゃんぽん麺を入れて食べるようにしてます。
以前は「モツ美味しい! キャベツもニラも美味しい!」だったのが、
今では「シメのちゃんぽん麺の事も考えて、ペース配分しないとな…少しキャベツ抑えるか」
と考えながら食べるように変化したようなものです。

何よりこの『気分の変化』が、構図や色調の変化につながったのかもしれないです。

失敗が必ずしも失敗じゃなくなったケースも

フィルムを現像して、スキャンして、編集していくうちに
「このコマは上出来! Instagramに載せよう!」
というようなコマと、
「コレはちょっと人様にお見せできる代物じゃ無いな…」
という失敗のコマをほぼ無意識で分けていました。

ただ、それは大前提がSNSなりブログなりnoteなり、ネットに上げる=デジタル媒体として使うというものです。
デジタルで良いと感じたものが、紙という物理的なアナログ媒体に出力したときに、必ずしも同じくらい良いものとして感じられるかというと、それは別問題だと実感するようになりました。
それは逆の場合でも同じで、デジタルだと「コレはちょっとなー」と思ったものが、紙に出して額に入れると
「あれ? 悪く無い…というかむしろ良いぞコレ」
と感じることもしばしば。

フィルム写真を初めて1年間でおよそ3800枚ほど撮影してきましたが、過去に撮った写真で
「コレは没」
としてきた写真も、ちょっと見直すべきかもしれないです。

完成形とは

フィルムカメラを熱烈に愛好する、主に高齢の方からは
「フィルム以外は写真じゃ無い」
「デジタルカメラは単なるおもちゃ、電化製品だ」
「ただのデータを写真とは言えない」
というような意見をお聞きする事があります。

ぶっちゃけた話、個人的には全くもって賛同しかねるご意見で、僕自身は
「フィルムだろうがデジタルだろうが、ポラロイドでもスマホでも一眼レフでも蛇腹カメラでも、何でどんな媒体に撮ろうが写真は写真」
と考えてます。

ただ、「写真は紙に印刷して、額に入れてようやく完成」というご意見を目にした事がありますが、このご意見には今は肯けるなと思います。

ようやく完成、というとデジタルデータの写真が未完成品のように受け取られてしまいますが、未完成というよりは
「シメのおじやを食べるまでが鍋料理」
という状態かなーという感じ、
「印刷して額に飾るまでが写真の楽しみ」
といったものかなと考えてます。

鍋の具材だけ食べておじやを食べないで終わるのは、残された楽しみに気づかずに終わっちゃうようで、ちょっともったいないですね。

データと紙の『画像』最大の違いとは?

液晶ディスプレイで見る写真と紙に印刷した写真、この両者の最大の違いは、
「それ自身が発光しているか、別の光源で見るか」
というポイントかなと思います。

もちろん、アナログかデジタルか、物理か仮想か、というような違いもありますが、『見る写真』として考えたときに、液晶ディスプレイだろうが紙だろうが平面で画像を見るという点は共通しています。

となると、その画像を見る際の一番の違いは、やはり
「液晶ディスプレイで見る写真は、その写真自体がLEDなどのバックライトで発光しているのを見る」
「印刷された写真は、それ自体は全く発光せずに、部屋の明かりや太陽光などの外部の光に照らされた状態を見る」
というポイントでしょうか。

「液晶ディスプレイで見たときには没だったけど、印刷したら意外とイケる」
「スマホで見たらすごく良かったのに、紙になったらイマイチ」
という差も、やはりこの発光の有無によって生み出されるものかもしれません。

部屋の明るさ、照明との位置関係、見る時刻などなど、データの場合には割と安定した、一定の条件下で見られるものが印刷されたものになるとそうはいかなくなる、という違いはかなり大きいです。

というわけで

デジタルデータとしてディスプレイ上で写真を楽しむのは、デジカメが全盛になって以降、ごくごく普通の楽しみ方になっています。
むしろ今は、撮影した写真をわざわざ印刷して、さらに額に入れるなんてことは、よほどのことがないとやらないんじゃ無いでしょうか。

そんな今だからこそ、フィルムで撮った写真に限らず、デジカメで撮った写真や、スマホで撮った何気ないスナップなども『印刷して額に入れる』というものは、新しい楽しみ方として試してみるのも良いんじゃないかな、と思います。

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