見出し画像

149.何かと長続きしない人へ

◆「人生は山のようだね。」友人との会話で気付いた真理。

先日、友人とカフェで話している時にひょんな事から「人生は山のようだね。」とふいにした自分の発言に気付かされる事がありました。

友人は志あるビジョンの持ち主なのですが、その道のプロフェッショナルから「その程度の算段で生業になるとは思えない。食べていけるのか。」等のプロゆえのコメントをもらって、これからの事、ビジョンに対するプロセスをどうしていくか、迷っているそうでした。

なるほどなるほど、と話を聞きながら登山部だったという友人がイメージしやすいかな、と登山に例えて

・目的(ゴール)が明確だから、目標に向かって(◎合目までに△時間で行こう)走っていける
・登山するにしても初心者には必ず先導者(メンター)が必要、でないと道に迷う
・山を登っていて降りたくなる(諦めたくなる)のは、山頂(ゴール)が不明確だから
・山頂(ゴール)に向かいたくないという気分にこそチームメイトが必要、1人登山は危険

こんな事を話したように記憶しています。「そう思うと人生こそ登山のようだね。」と、友人に話しながらも私自身が何かと昔から飽き性で習い事などが長続きしなかった原因も見えてきました。

◆目的は何か。目標は明確か。入部すぐに辞めたバドミントン部と数年かけて入部した合唱部。

地元の公立校は市内でも荒れている3小学校が集合する中学だったのもあり、避難するように受験をし私立の中高一貫女子校に入学しました。
小学校では先生から本の虫過ぎて「図書館にこもっているのはいじめられているからでは?」と疑惑が出るくらいのインドアな私も、入学当時はやっぱり「アオハルしたい!部活入ろう!」と鼻息ムンムンでたくさん体験入部した記憶があります。

当時はマンガの影響もあり、運動部の何かに入ろう!と意気込んでいました。ただいかんせん小学校では図書部に所属する本の虫だった私は
「バスケは体当たりとかあって平和じゃない、強気な子じゃないとムリ。」
「バレーは腕が痛いからやだ。」
「陸上は走るの苦手だしきつそう。」
「テニスは日焼けするからイヤ。」etc…
書けば書くほど本当に運動部に入る気あったのか?と思うレベルなのですが、最終的には『コートが別れてて平和そう、体ではなく道具を使う、日焼けしない室内競技』というのでバドミントン部に入部しました。

ただし、バドミントン部は入部半年以内に辞め、2年後の高校1年生では合唱部に入る事になります。
当時も最近までも「何で辞めたの?」と言われた時には『顧問が数学のO先生で苦手だったから』『なんか飽きちゃったんだよね』と周りには話していました。
今振り返ればあの時に明確な目標設定があれば続けていただろうな、と思います。

◆If…明確な目標設定があれば?

上記の通り、確かに顧問のO先生は苦手な先生かつ苦手な数学の先生で苦手が2乗されるくらいに苦手。さらにはバドミントン未経験で顧問就任されていて、未経験ながらも当時は「こういうメニューをしよう!」と色々と提案していただいていたのですが当時の私は未熟者だったのでO先生の心意気を汲み取りませんでした。

入部して数ヶ月は先輩方から基本的なフォームや練習方法を教えてもらい、毎日繰り返せば繰り返すほど上達していく様がとても面白かったのは覚えています。

ただ夏の大会では惨敗。一回戦すら突破できずでした。
その時点で自分の中でのバドミントンに対する満足度が8割を超えて、見事に「飽きた」状態でした。

でもこれ今思えばそうだよな、と納得する場面でもあり、自分の中でのバドミントンに対する満足度は、「一通りバドミントンを覚える事」だったようで「飽きて」しまいました。

もし当時、入部早々【夏の大会で優勝するぞ!】という目標設定がされていたら?日頃の練習メニューや意識も変わって、一回戦すら突破できなかったら「悔しいから来年こそは優勝するぞ!」と考えていたのではないかと思うのです。

◆マズローの五大欲求、どこに自分を位置させたいか?

下記の有名な五大欲求を提唱したマズローは『人が動くのは大きく2つの段階がある。』と話しています。

マズローは人間が行動を起こす理由(動機)として大きく2つの段階があると考えました。1つは「欠乏動機」です。これは「何かが足りない」という欠乏状況を充足させることが、行動を起こすやる気の源泉になるというもので、主に4つの欲求から構成されます。例えば「空腹を満たしたい(生理的欲求)」「安全な場所に住みたい(安全欲求)」「家族・友人と親しくありたい(親和欲求)」「仲間に自分の実力を認められたい(承認欲求)」などです。

もう1つは「成長動機」です。これは欠乏動機である4つの欲求が満たされると、人が行動を起こす動機は「自分の能力を活かしてさらに成長したい(自己実現欲求)」まで達するというものです。

NRI(マズローの欲求段階説)より

私のバドミントン部の場合、親和欲求や承認欲求に至る前に「まあでもバドミントンが全てじゃないし、バドミントンで食っていく訳でもないしな。」とどこか冷めた自分がいて、結局は半年で退部しました。
本心ではマンガの主人公のように何か一つに熱中していたかったのですが、当時の私は熱中するチャレンジよりも、元に戻るという安牌を選んだのです。
おかげで何を得られたか?と当時聞かれていたら、「まあバドミントンの基本動作くらいかなあ〜。」としか答えず、その続きは『何故バドミントンを辞めたほうが良いのか?』という言い訳を並べてていました。

◆言い訳をしたかったのか?何かを成し遂げたかったのではないか?

当時に自分自身はとにかく下記のような言い訳ばかり考えていました。

・顧問の先生が気に食わない
・大会に出ても1回戦も勝てない弱小部に入ってしまって面白くない
・バドミントン部じゃなくて別の部に入った方が良かったかもしれない

今思えば「苦い思い出」で「教訓」となるバドミントン部でしたが、本来の目的や目標は何だったんだろうか、と立ち返ると、半年で退部した原因は【目的と目標が不明確だったから】なのだと結論つきました。
入部当初に想っていた『マンガのように何かに熱中した青春を送りたい』という目的と、そのためには『地区大会でまず優勝する』などの目標設定が1セットになったら、また別の思い出に変わっていたに違いありません。

何かに心折れかけたり、凹んだり、上手く行かなかったり。
30年間、生きているだけでもたくさんのイベントが発生してきて少なくともあと3倍は生きると思えば、どこかのタイミングをつけて「目的は?そのための目標設定は?」と自分会議を開くべきかもしれません。
何かを決意しようとしている時こそ、頭を冷やし心は燃やし、まずは紙に書き出していきましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?