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【#大切にしている教え】近江商人の商売十訓から”稼ぐ事の価値”を学ぶ

◆商売の礎を作った、近江商人ら。

新卒で入社した専門商社で、初めて「近江商人」の存在を知りました。
当時は入社研修でこの【商売十訓】を暗記し、大声で発声するというTHE体育会系な研修があったので、「これ意味あるのかなー。」と疑問に思いつつ、ただしその十訓の内容に対しては「なるほどな。」と思っていたのを強く思い出します。さらに社会人経験を数年経て、改めて見てみると【近江商人の商売十訓】には成功する原理、原則が詰め込まれているのではないかな、と感じました。今回はそんな先人の知恵を一緒に学びましょう!

◆本題の『近江商人の商売十訓』はこちら。

1.商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
2.店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
3.売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる。
4.資金の少なきを憂うるなかれ 信用の足らざるを憂うべし。
5.無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ。
6.良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
7.紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ つけてあげるものの無い時は笑顔を景品にせよ。
8.正礼を守れ!値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
9.常に考えよ、今日の損益を、今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ。
10.商売には好況・不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ

今日は1訓から、稼ぐことに対して考えていきます。
1.商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
ここでの重要ポイントは『”その当然の”報酬なり。』という”その利益を受け取るに値する価値提供をしているからこその”報酬なのだ、という点です。

◆稼ぐってどんなイメージ?卑しい?かっこいい?2つのエピソードから考える。

日本の謎な文化として、【稼ぐこと=悪(とまでは言いませんが、イメージはマイナス)】があると思います。
どんな経緯で発生したか分かりませんが、新卒の時に私自身も「稼ぎたい!」と声を大にして言うのは、何だか恥ずかしい事、人様には言わない事、だと、商売をしている両親を持ちながらも感じていました。

新卒で勤めていた専門商社では、世の中に溢れている人・モノ・カネを最適化し、忙しい顧客の代わりに求めているモノを探し出し、組み合わせ、提案し、顧客の問題解決をしていく、それが仕事でした。
特に分かりやすい【仕入れて、利益を載せて、売る】ビジネスモデルだったので、見積書を書きながら製品に載せている利益は「自分自身の労働代」と認識して、提案していました。

ただ今思い返せば、見積書に記載した利益が努力量に見合った利益であれば「当然だ。」と思いましたし、逆に相見積もりを受けてライバル会社よりも低価格で提案しないといけない場面では「私自身の労働価値が下がった」ような感覚でした。

実家の飲食店で、景気が悪くなった時に「うちの値段は手頃過ぎるのでは?もう少し価格を上げても良いんじゃないか。」と娘ながらにお店がどうやったら良くなるか、を考えて父に提案してみたことがありました。ただその時だけ普段あまり怒らない父親から「ふざけるんじゃない!」と一喝されたのを鮮明に覚えています。
口数の少ない職人な父は、「なぜそうしてはいけないのか?」理由までは教えてくれず、当時の私は「店のこと考えて言ったのに、何で怒られるのか分からない!このやろ!」と腹が立っていましたが、今思えば、工夫もなしに適正価格に中身のない数字を上乗せしようとしている娘に対して、イチ経営者として「筋が違う。」と思ったのだろうなあと、推察しています。

改めて、この1訓の重要ポイントは『”その当然の”報酬なり。』という”その利益を受け取るに値する価値提供をしているからこその”報酬なのだ、という点。
もし【稼ぐこと=悪(とまでは言いませんが、イメージはマイナス)】が皆さんの中にあるとすれば、今取り組んでいる仕事に対して、もっと努力出来るのではないでしょうか。もしくは、楽して儲けれてる〜♪と思っているのではないでしょうか。

◆「世の中に楽して儲けれるビジネスはありません。」断言したメンターの言葉から自分の怠け心を感じた。

「世の中に楽して儲けれるビジネスはありません。」と最近メンターからびしっと言われたので、自分の襟を正す意味でも今回のNoteは書いています。

利益を得ている=それに値する価値提供をしている、の証明は、年収だと考えるようにしてきました。社会人としての通信簿、成長を図る数字として収入が上がれば、自分自身の価値も上がった、と認識しています。正社員→派遣社員→業務委託(フリーランス)として業態を変えてきましたが、時給や単価、という形で自分自身が値打ちされる世界は分かりやすく、業種、業界限らずに数字はフェアです。
期待されているパフォーマンスが発揮できなければ、社会からの評価(年収)もそれなりになり、ライフスタイルもそれなりになります。

求めている状態はどんな状態なのか?どんな人が周りにいて、どんな生活をしていて、どんな一日を過ごしていて、どんな形で生きていた証を残すのか?その目標設定から逆算すると、求めている生活に対して、どんな努力をしなければならないのか、が自然と導き出されるかと思います。
直感で生きてきて、どちらかというと計画立てるよりも、その場面ごとに臨機応変にのらりくらりと対応してきたタイプの私ですが、今では人や本を読んで日本という裕福な国に生まれてきたからこそ、という小さな使命感と共に目的・目標から逆算して生きています。
これは台湾留学時代にのらりくらりとしていた時、友人から「もっと自分に対して、真剣に考えてあげなよ。自分のことでしょ?」と一喝された経験があるから、というのもあります。
「時が来たら何かが起きて、どうにかなるだろう。」そういう思考をぶち壊してくれた友人には、当時は「価値観が合わないなあ〜。」と釈然としませんでしたが、考え方が変わってきて、今は感謝しかありません。
きちんと数字に向き合い、自分に向き合い、どんな状況になろうとも、努力し、目標達成し続けます。




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