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八月のある朝に——日記のような小説のような

 何年ぶりかも知れない真夏の早朝の涼しさのなか、公園の前を通りかかると、真ん中にある円形のベンチに腰かけた二人の老人が、まわりに大量の鳩を集めて餌をやっていた。いつもなら眠りがようやく深まるはずのその時間に、ぼくは終電を逃した友人を駅に送っていくところだった。子どものボール遊びか、カップルのフリスビーか、ストイックにダンスを練習する若者か——日が昇って間もない公園にいるのは、そうしたいつもの人たちではないのだった。ベンチの背後には柳の木が一本ひょろりとたっていて、うっすらとした影を老人と鳩の一部に落としていた。老人の一人は長い白髭を垂らし、手押し車をわきに置いている。もう一人の老人は痩せていて、腕や頬の骨が遠くからでも浮き立って見えるようだった。白髭の老人は杖にもたれかかり、痩せた老人は背筋を伸ばして、四十五度の角度で背中合わせになって座っていた。彼らは微笑を浮かべて会話を楽しんでいるようにも見えたし、顔の筋肉をこわばらせてむっつり黙り込んでいるようでもあった。鳩だけが老人のまわりを活発に動き回り、けたたましい羽音を響かせていた。公園とぼくに挟まれて歩く友人にちらと視線を上げると、彼は老人にも鳩にもとくに興味を惹かれていないようだった。ぼくたちは変わらぬ速度で足を進めながら、眠たげで間延びした声で途切れとぎれの会話をつづけた。

 友人を見送ると、ぼくは駅前の二十四時間スーパーをひとめぐりしてから、来た道を引き返した。夜食用に友人とかわはぎを買った前の晩から、ならべてある食材は増えも減りもしていなかった。生鮮食材を商うスーパーが二十四時間あいていることでいったい誰にどんな得があるのかは以前から疑問だったが、活動を終えた駅の眼前の真暗な商店街で独りかたくなに茄子やイナダを売り続けるそのスーパーのユーモラスなあり方に、ぼくは秘かな好感を抱いていた。それに少なくともぼくらはこのスーパーのおかげで、寝る間も惜しんで旧交を温めたこの一夜に、風味豊かに引き締まった夏のかわはぎを添えることができたわけではないか——
 公園の前に戻ってくるとベンチの老人は消えていて、焦点を失った鳩の群れが手前に流れてきていた。いまだ人の動く気配が感じられない静けさの中にあって、老人はあたかも瞬きをするあいだに忽然と消え去ったかのように感じられ、大量の鳩がそばをうろついていることだけが時間の経過を感じさせた。公園の縁は生垣の残骸のような枝ばかりの小木数本で区切られていたが、そうしたなけなしの境界を超えてぼくのいる歩道にはみだすのさえいるくらいだった。ぼくは面食らったような気分になって歩みが緩むに任せ、動きの大きい鳩を目で追っては別の鳩に視線を移すことを繰り返しながら公園の角までたどりついて、いよいよ長かった一日とこれから始まる一日とを共に後に残して眠りに向かおうと、視線を切り離そうとした。すると振り向くような体勢の死角になっていた鳩の手前の、ぼくから数メートル離れたところに、茶と白の斑の猫が身を低くしていることに気がついた。眼を鳩の一群に向けて逸らさず、一見気ままに鳥の群れの見物を愉しんでいるだけかと思われたがよく見れば躰全体に緊張を漲らせて、どうやら猫は鳩に襲いかかる時を窺っているかのようだった。猫は鳩を捕食することがあるのかしら、とぼくは思った。闃として、穏やかで、一点の曇りもないこの爽やかな早朝に、鋭く尖った爪牙が平和の鳥に突きたち深紅の血を迸らすというのはひどく不釣り合いなことのように思われ、猫の意図をはかりかねたぼくは疑うような気持ちでこの小動物を注視した。猫はぼくの視線など意に介さず、うごめく鳥の群れを一心不乱に見詰め、張りつめたその躰はまるで引き絞られる弓のようにエネルギーを帯びていくようでありながら、しかしそれは動かない。ぼくはもうしばらく粘ったが鳩と猫とぼくの均衡が破られることはなく、あらためて見てみれば猫はただ鳩にじゃっかんの好奇心を惹かれながら蹲み込んでいるだけのようにも思えてくるのだった。ついにぼくは諦め、今度こそ長かった一日に幕をおろす眠りを現実的に意識した。ぼくが右足を踏み出した瞬間、猫がぴくっと駆け出そうとする、そして溢れるほどの鳩が一斉に翔び立った。

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