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「何にもやりきれない」自分へ

すだあゆみさんのこのnoteが流れてきて、思わず拝見しました。


僕を始め、僕の周りはADHD(傾向ありを含む)の方が多い身です。
ADHDとは「注意欠陥・多動性障害」であり、「不注意」「多動性」「衝動性」の3つが生活に支障が出る場合、薬などで対応する障害?の1つです。

やりたいことことが、許容量を超えた世界

「やりたい」「でも時間ない」「時間ないけどやっちゃおう」「先送り、トラブル、考えることの嵐」の連続。

タスク管理が苦手予定の詰め込み過ぎ、という問題を抱える方は意外といらっしゃいます。

いつも忙しくしている方、Twitterではよく見かけて、勝手に仲間...って思っています。


興味があり過ぎる世界は幸せなのでしょうか?

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僕のやりたいことは言葉選ばずに記しますと、「尽きません」。


デザインも会計も勉強したいし、マーケティングもプログラミングもカスタマーサクセスも英語も極めたいし、美容・コスメ、ゴルフ、スキー....


そして、気になって衝動的に色々なことをやり、丁寧にやることをこなすことが出来ません。(いまだにマイナンバーの通知カードを出せないでいる...)



すださんのnoteからは「1つ1つ選びながら」言葉を紡がれている印象を持ちました。

自分を素直に見つめ、愛の深みがあり、同じ人を思っているのが、伝わってくるのです。
(こういうところが、とてもステキなところだと思うのです)


辿り着く同じ終着点

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どんなときも「すべてを完全に知ることはできない」のではないでしょうか。

この結論、ADHDサイドでもたどり着くところなのです。

いつまでも興味を解決出来ない世界に対して、たどり着き方が異なるだけ。

「もう広すぎてよくわからないやぁ...😭」
「まだ、まだあるのか!?追いつかん...!!💦」


国語の教科書に出てきた種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」の意味が深く響きませんか?笑


好きなことで生きていくとは「積み重ねる旅」なのではないか。

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止まっても良い、歩いても良い。
旅とは誰にも制限されず、好きなところを見つけて永住しても、どこまで行っても良いものです。


出会って深めても「分からない」は、ずっと続く。

「分からない」といいながら、笑ってる自分がそこにいればいいんじゃないかと思います。


すださんの最後の言葉は僕の愛読書の「自省録」に通ずるものを深く感じます。

宇宙全体を自分が住んでいる国と考えれば、どこであろうとなんの違いもないではないか

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そう、すださんの受け止め方は1つの在り方として、尊いものです。



一方自分は、届かないとわかった上で、死ぬまで挑み続ける在り方を選びます。


24にして、転職を3回、会社を作り、セールス、マーケティング、カスタマーサクセス、そしてプロダクトの開発をしていて、我ながら頭がおかしい。


でも、別に僕の旅なんですから。
いろんなお土産やら経験談を貯め、人の役に立つことも合わせて行いながら、限界まで走ってみる。


待っていれば見れる絶景をすっ飛ばしても、走りきった自分の最後を誇って死ぬのも、悪くないな、って。
絶景の話も、走り続けて見かけた変なものの話も、どちらも心を揺さぶるわけですから。

一緒にご飯食べに行きましょう!新しいきっかけを。 サポート頂けましたら、Twitterでもぜひご連絡ください。 お誘いします!