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劣化

iPhoneのバッテリー劣化が著しい。
どれくらいかといえば100%で充電した後、30分も使えば50%になってしまうぐらい。

いま使っているiPhoneはもう買ってから6年ぐらい経つし、もういい加減寿命だろう。

バッテリーの情報を見てみたら「iPhoneのバッテリーに問題があります」なんて表示されている。
外出するときには充電器が必須。ほぼ点滴状態で給電し続けなければいけない状態。
寿命なんてとっくに超えてて、無理矢理延命措置を施してるような状態かもしれない。

でも不思議と目に見えて劣化しているモノを持っていると
なぜか手放したくなくなる。

例えばバスタオルのように、使った事によって適度に毛羽立って使い心地が出てくるとか劣化がそういった実用性に繋がってくるモノもあるけれど、こと携帯電話においてはそんなこともない。
ただただ不便なのに手放せない。


このすっぱりモノとして割り切れないことの正体はなんなんだろうと考える。


多分自分のモノである、ということが第一前提にある。
だって他の人が持っている劣化したモノを欲しいと思ったことなんてほとんどないから(ヴィンテージや傷がかっこいいみたいなものは除いて)
そう考えると「劣化しているモノ」ではなく「劣化させたモノ」というのが正しいのかもしれない。

もうひとつは時間。
当たり前だけどモノは使った時間の分だけ愛着が湧く。
ただし使うときにそのモノを見ていないと愛着というのは薄くなるらしい。
使い続けた充電池がどんなに劣化していっても全く愛着を持てないのは
多分、使うときに見ていないからだろう。
縁の下の力持ちは愛着さえ手に入れられない。
「Time is Money」であるが、同時に「Time is LOVE」でもあるし「Look is LOVE」でもあるのだ。モノに関しては。

ということで劣化しているモノを手放せないことの正体は


何年も自分で劣化させて使うときに見続けていたから。

という色気も素っ気もない答えに行き着いた。
ロマンのかけらもない現実的な答えだけど、自分の感情を分解してみると
なんとも大したことのない正体を発見することがある。

はあ、これで心置きなくiPhone14に買い換えられる。
また新しいiPhoneのバッテリーを思う存分、自分の手で劣化させよう。

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