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失うものと、再開や出会い。「ご縁」の別の話その1

小さい頃から歌うことが大好きで、家の中ではずーっと歌っている。

それこそ、20代前半までは歌うプロになりたいと本当に思っていたのだ。

ある時、うたの師匠に巡り会うわけだが、こちら“なにわのベートーベン”と呼ばれた七色の声を持つボーカリスト🎤

関西では誰しもご存知のあのCMの曲をうたってたり、このCMのナレーションしてたり、の知る人ぞ知るスターです✨←自分じゃないくせに自慢

レッスンを担当していただくことになって、しばらくはボイストレーニングとかまっとうなレッスンを受けていたのだけれど、そのうち雑談が多くなり、もう後半は師匠に会っておしゃべりしたくて通うレッスン‼️

わたしは正直、その頃にはうたのプロになるモチベーションはなくなっていて(16歳からレッスン続けて、まぁそんな才能はなかったんやなーときづいてしまってた)でも歌うことと縁を切るのは怖い…。

そして、実際もうそんなプロ志向ではない弟子に教えることなんてないんです、テクニック的には。
だって、楽しく嬉しくうたえればいいんだから、という教え。 
(大げさに言うてますが、もちろん色々テクニックは教えてはいただきましたの。取得できないだけで)

師匠とは偶然にも「沖縄」の趣味が一緒で、結局ご一緒することは叶わなかったんだけど、わたしが八重山旅行に出かけたときは師匠のお友だち紹介してもらったりと、ご本人いないところで仲良くなってたりなんかして〜。

師匠の話には、親友の“エミ”だとか“アッチュ”だとか“社長”だとかが登場して、会ったことないのに共通の友だち的存在感。

そういう、ゆんたく(沖縄方言のおしゃべり)しながら師匠の、うたの人生のお話を聞いてレッスンの時間は流れていきましたとさ。

でもそんな時間が、うたう=伝えることにも結構大きな割合で作用する気がする。
言うても、わたし史上一番うたが上手なプロボーカリストのお話←なんか上からっぽいけど〜なんだもの。

師匠がパートナーとの時間を充実させるため講師のお仕事を減らして、わたしも仕事が忙しくなる時期で、レッスンという名のゆんたくに行けなくなり、お手紙や旅行のお土産交換などの、同級生か‼︎というような親交が続いていた、ある日。

師匠が病に倒れてしまった。

でも、まだわたしはそんなに深刻には考えてはいなかった。
数名の友人が同じ病から復帰しているのをみていたから。
いい環境で療養ということで遠くへお引越しして離れてしまい、さらに会えない日々…。

このあと、やっと本題の「ご縁」の話が始まるのですが、今日はなんとなんと‼︎
タタン!タン!タン!
お時間がいっぱいいっぱいでございます。
(最近、松之丞さんの追っかけしてます)

次回までお待ちくださいませ〜〜!

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