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家事と勉強はかけた努力が報われる~仕事とかに比べたら。

大人になって感じる。
「努力は必ず報われる~!」(by たかみな)
ってこと、実はあんまり無いってこと。

もちろん全く無駄になるとまでは言わんけど(というか、そう思わないとやってらんない)、大抵のことは「努力」と「成果」が比例しない。
めちゃくちゃ頑張ったのに何にも形にならないこと、その反対にテキトーにやってたのに思わぬ成果が上がること。

どっちもある。
特に仕事なんてそうだよな……(遠い目)。
まぁ「世の中なんてそんな物よ」と若干(=ここ重要)斜に構えてふんわりと受け止める、というか軽く(=何度も書くがこれ重要)諦念モードで生きていく。
これまた人生の知恵というかライフハックだーね(あんまりこの言葉好きじゃあないけど)。

とは言え。
それじゃあ余りにも寂しくありゃしませんか?
そんな世の中でいいんですか?
なんて義憤もこれあり(そんな大層なもんではないけど)。

そうやって考えると、「家事」と「勉強」は他のことより、比較的「かけた努力」が「成果」に結びついている気がする。
100%とは言わんけど、8~9割くらいは裏切らない。

なので家事をするのはかなり好き。
達成感というか、頑張った結果がはっきり目に見える(掃除なんてその最たるものである)。

勉強もそう。
学生時代はうんざりしてたが、大人になるとこれほどある種「公平・平等」なものは無いな、と(もちろんこれも100%ではないのは承知の上なのでしょもないツッコミは要らんよ。金銭格差とかあるやろ!みたいな)。

オトナのリスキリング(この言葉も好きでは無いが分かりやすいので使う)って、「学びたい」意欲はもちろん大前提だけど、それと同じかそれ以上に「かけてる努力が形になる心地良さというか幸せ」を味わいたくてやるんちゃうの?なんて感じる。

少なくとも今の私にとってのドイツ語学習はそれ。
始めたきっかけは色々あるんだけど(その辺はまた書く)、今デュオリンゴで1400日以上(!)続けてるのって、もはや「ここまで積み上げた結果を崩したくない」って意地というか成果を掌中から零したくない、って思いも大きいからな……。

要は「努力は必ず(ではないけれど、「時には」というかジャンルによっては)報われる~!」のだから、たかみなは正しい。
ってことでOK?

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