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cectne9
高校生と中学生のお弁当をつくる話 続編
特別なお弁当でもないけれど、日常なお弁当を作っています、という話は先日書いた。
続きがある。
ちがう、今日、続きのエピソードがやってきた。
帰宅して、お弁当箱を洗いながら、娘が言う。「今日、お弁当きれいだね、ってお友達にほめられたよ。よかったね。」
なんとまぁ!びっくりした。
何がびっくりしたって、息子のお弁当を4年間作ってきたけれど、そういう褒められ方をしたことはない。息子は結構マメに「今日のお弁当おいしかった」と言ってくれる人なので、何の不満もないけれど、でも「他の誰かから見てどうか」なんて、彼の感覚には1ミリもないと思う。自分がおいしければいい。そして、たぶん、他の人がどんなお弁当を持っているかも、全く気にしてない。
でも、娘は、そうじゃなさそうだ。彼女たちはたぶん、どんなお弁当を持ってきてるのか、お互いになんとなく見ている。別に、それで評価されたり、批判されたりするようなことはないので、見られたからって、どうということはない。私の作るお弁当も何ら変わらないけれど。
ただ、どこに意識を向けるかって、こんなに違うんだなぁ。
おもしろい。
彼らの意識の向け方が違うことは、この先、もっともっとあるんだろう。意識の向け方が違うということは、欲するものも違うということで、親から彼らに提供するもの・ことが、何もかも同じではないことを、この先求められるのかもしれない。平等でないことで、むしろ満足度が高まるかもしれないのだ。
うん。まぁ、それもいい。それも、また、おもしろがっていけばいいんじゃないかな。
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