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スターになりたい? カリスマになりたい?

〈スター〉と〈カリスマ〉は、どう違うと思う?

と、ふと聞かれた。
なるほど、面白い質問だな。

スターも、カリスマも、自ら名乗るのではなくて、周りの人にそう言われて、初めて認定される感じは似ている。
スターは魅力があれば認定されて、カリスマは凄さがあれば認定される気がする。
スターにはファンがいるけれど、カリスマには信者がいる。
スターには近づきたいけれど、カリスマは近寄りがたい。
スターは愛されていて、カリスマは畏怖されている。

などなどと、言葉あそびも含めて、色々考えていくと楽しい。

ところで。
スターに、なりたかった時って、あったかな。

誰からも愛される人気者になりたかった時・・・なかったかもしれない。

「誰からも愛されよう」と思うと、人の目を意識して振舞わなくちゃいけなくなる。不特定多数の人から好意を持ってもらおうとする時、その行動を決める根拠は、自分の外側にある。「食べたいからラーメンを食べる」と「愛されるキャラクターとしてラーメンを食べる」では、「ラーメンを食べる」と言う行為は同じでも本質は全然違う。人に愛されたい、という想いを実現するために、自分の振る舞いの「オーナー」が、自分じゃなくなるのは、きっと苦しいだろうな。

じゃあ、カリスマになりたかった時は、あったかな。

スターに比べれば、カリスマの方が、憧れていたかもしれない。
カリスマは、100人のうち、10人に、深くふかーく尊敬されている気がする。残りの90人は、無関心かもしれないし、もしかしたら嫌っているかもしれない。それでも、ふかーい10人のエネルギーがそれを上回る程に大きいからカリスマでいられるんだと思う。

カリスマと言われる程に人を惹きつけられる存在になりたいと思っていた時期はあった。親子のあそびイベントを企画しても、参加者がちっとも増えなかった頃、私がカリスマみたいな存在だったらなぁ、と思っていた。そしたら、イベントにもみんな来てくれるし、沢山の親子に楽しんでもらえるし、お伝えしたいアドバイスも一杯届けられるんじゃないか、って。

でも、「あそびの専門家」としての仕事を長く続けるうちに、カリスマになる必要はないな、と思うようになった。親子の関わりみたいな、100組いたら100通りの正解があるようなジャンルにおいて、誰か1人だけの考え方が「たった1つの正解」みたいに影響力を持つことには、危うさもある。今では、そう思うようになった。

じゃあ、私は何になりたいかな。
100人の人誰もに愛されることを求める訳ではない。
10人の人に崇拝されたい訳でもない。
でも、10人くらいの人と、対話ができるといいな。
頼りになる存在として、ごくごく近しい立ち位置で、悩みを聴いたり、大丈夫よって背中をさすったり、笑ったりできたらいいな。
道で会ってキャーキャー言われたい訳ではないけれど、会えて嬉しい、くらいに思ってもらえたらいいな。

そういう存在、何て言えばいいんだろう。
・・・かあちゃん??

春だからね。改めて。
「頼れるかあちゃんを目指していきたい」という目標を、ここに残しておくことにする。

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