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海外生活を経て 残るもの

家族で1年間アメリカに滞在していました、という話をすると、「お子さん、英語どうしていました?」と質問されることが多いです。

渡米時、息子は日本の学年で1年生、娘は2歳でした。
息子は現地校に通いました。外国人の多いエリアだったので、ESL(English as a Second Language:厳密な意味合いはともかく、英語の補修クラスのようなプログラム)も、きめ細やかで、友達とも英語(+α・・・雰囲気とか、恐竜やポケモンなどのコンテンツとか)でコミュニケーションを取って過ごしていました。

「帰国してから、英語を忘れないように何かしていました?」
英語を活用できるスクールに通っていたよ、と、答えようとして、ふと、先日、自分で書いたnoteの記事を思い出しました。

この記事では、小学校1年生くらいの英語なんて、少し成長したら、大して役に立たないって、私書いたよなぁ。1年生くらいで使っていた英語を、「忘れないように」とずっと維持していたところで、そのままの語彙や表現で年齢を重ねても、あまりにも幼い表現しかできないと思うんですよね。

息子は帰国してから数年、週1回、英語を活用できるスクールに通っていました。小学校4年生くらいの頃、息子が誰かと話している英語は、その部分だけ取り出せば、それは、アメリカで身に付けた英語ではないと思うんです。

じゃあ、私は、一体何を「忘れない」ようにしたいと思っていたんだろう。

・・・考えて思い当たったのは「英語が話せるという自己イメージ」を、持ち続けて欲しかったのかな、ということでした。

小さい頃に海外で過ごし、現地の言葉を話していたのに、帰国して使わなくなったら、すっかり忘れてしまった、という人の中には、「そもそも自分がその国の言葉を話していたことすら忘れている」という人もいます。そうではなく、アメリカで英語を使っていたことを記憶していて、その経験の延長線上に、彼自身を位置づけられたら良いと考えていたんだと思います。

日本語ばかりの環境の中で、週1回くらい英語を学んだとて、そんなに飛躍的に英語力が伸びるようにはならないとは思うのです。「英語力が落ちるのは当然のこととして、その落ちるスピードを和らげるために、帰国してからの英語スクールに行く、くらいに思っておいた方がいい」と言われたこともありました。

留学したいとか、映画を観るとか、海外の人とゲームやSNSでチャットするとか、自分の中に学びたい動機が生まれれば、自ら学ぶと思います。その時に、「頑張れば、何とかなるやろ」って思える状態でいられる、くらいの状態に維持できたらいいのかな、と思います。

だからまぁ、息子の場合は、たまたま英語のスクールに数年通えるくらいの心と時間の余裕があった、というだけのこと。それは、海外から帰国したら、みんなそうした方がいい、とも思っていないし、むしろ、幸せなことだったと、周りの環境に感謝しているんです。

周りの環境に感謝している、というのは、海外から帰国したお子さんの中には、日本での新しい環境に適応することに多くのエネルギーが必要になり、現地の言葉を忘れない、というところまで意識を向ける余裕がない場合もあるからです。
そうなった場合は、海外の言葉を忘れないようにしよう、と無理しない方がいいと思っています。その子にとって、新しい日本の環境に自分を適応させるために、一度忘れる(頭のどこかに片づけておく)必要があるってことなんですよね。

でも、言葉を忘れたとしても、そこで過ごした数年間はなくなりません。言葉は、もしかしたら、大人になってから再び学び始めようとした時に、ふわっと思い出す何かがあるかもしれません。何より、子どもの頃の経験というのは、本人が覚えていても、覚えていなくても、確かに子ども自身の中に残っていると思うんです。日本で暮らしていても、海外で暮らしていても同じことですし、日本では体験できない経験があるのだとしたら、それこそ、本人の深いところに確かに残っていると思うんです。

だから、現地の言葉を覚えているかどうか、というのは、1つの象徴的な事象に過ぎなくて、幼い時期に、母国とは違う環境で過ごした子どもたちが受けた影響というのは、もっともっと深いところで続いているのでしょうね。

そう考えていくと、 私が子どもたちに対して〈帰国しても忘れて欲しくない〉と思っていたものがあったとしたら、それは、〈海外で過ごした自分への肯定的なイメージ〉かもしれません。

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