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私は南部の女~Queer Eye第6シーズン

◆自分らしくあれ。背中を押すFab5

Netflixで待ちに待った「Queer Eye」の第6シーズンが始まった。
このシリーズある限り、Netflixに加入してもいいと思うくらい
私はこのゲイ&ノンバイナリーの5人組「Fab5」によるリアリティ番組のファンである。

https://www.youtube.com/watch?v=3Yo2ohiqF4o

ご存知ない方に説明すると、5人はそれぞれファッション、インテリア、料理・ワイン、美容、カルチャー&ライフスタイルのスペシャリストであり、それぞれの立場から悩める人に寄り添い、背中を押していく。
自分のことは二の次で
家族、仕事、地域に身を捧げている人も多い。
愛する人を失い、半ば自暴自棄になっている人もいた。
またパキスタン、ジャマイカ、ポーランドなどルーツもさまざまでLGBTQだけでなく人種や文化についてもさまざまな角度からアプローチしていく。

そんな彼らにFab5はさまざまに変わるきっかけを用意するわけだが
乱暴な言い方をすれば、結論は
「自分を大切に、自分らしく生きる」

こうして言葉にすると、なんだかあたりまえだけど
ゲイであるがゆえに、いろいろな困難を乗り越えて自己を肯定するに至った彼らのひと言ひと言には確かな芯を感じて響く。

「一人で抱え込まない。時には頼ることも大事」
これもまた彼らがよく口にするせりふだ。

そして単純な私は、そうだ、そうだよね、とハグされたような気持ちになっていつも画面を見守っている。

◆筋縄ではないかないアメリカ

アトランタ、カンサスシティ、フィラデルフィアなど
シリーズごとに舞台が変わるのもアメリカ各地の文化に触れることができて興味深い。大都市だけでなく、いったいどこなんだ?と地図で確認したくなるような田舎町も多く、一筋縄でいかないアメリカを感じるのも、わたしを夢中にさせる一因だ。
ゲイで有色人種であることと教会の複雑な関係なんかも、この番組で目の当たりにした。

変わることを恐れる? テキサス 

そして今回の舞台はテキサス。
コロナ禍の撮影ということもあるのだろうが
ちょっといつもと趣きが違う。

あなたはこの髪型のほうがいい。
こういう服の方があなたらしい。
と勧めても頑として首をタテにふらない人が現れた。

個人差もあるだろうが、
土地に根づく伝統に縛られているようなムードも感じる。
つまり変わることを恐れているのだ。
それも保守が強いテキサスを象徴していると言えるのだろうか。

◆サザン・ウーマンと台所

ルイジアナ出身だという有色人種の女性(医療従事者)は
ほとんど外食。
忙しさもあるにはあるが、スパイシーな料理に慣れ親しんでいるから
濃い味でないと満足できないという。
でもキッチンに立つと決して料理の手際が悪いわけではなさそうだ。
それを料理担当のアントニに指摘されると
「私は南部の女(Southern Woman)。だから料理はできる」
と胸を張った。

そこには、ブルースで歌われる女性の立場や生活の原点が
ひとことで表れている。
家を支え、胃袋を支えてきたのは女性たちだった。
今はそんなこと言うといろいろ難しい問題も勃発しそうだ。
実際、それゆえに辛い目にあってきた女性たちも少なくない。
(たとえば男性からの暴力や蔑み。
『カラーパープル』に描かれているような)

でも彼女の言葉には誇りが満ちていた。
転んでもただで起きないサザン・ウーマンのたくましさと
慈愛に裏打ちされた誇りだ。
同時にそれを発揮できないからこそ、彼女は苦しんでいた。

また彼女はカツラであった。
縮れ毛と薄毛に悩み、地毛を見せることに抵抗があるからだ。
しかも代々家族もそうだったという。
結局、彼女は地毛をいかしたショートヘアにするのだが
ヘアスタイルひとつとってもいまだヨーロッパ的な美意識に
縛られているところがあるのだろう。

ゲイの息子と信心深い教会のママ
人種と性自認の問題の板挟みになるトランスジェンダー
有色人種であるがゆえに
重なりになっていくさまざまな悩みの視点を
教えてくれたのもこの番組だった。

私はこの番組を繰り返し観る

今回のテキサス編も2度、3度と観る内に
新たな感想が生まれてくるにちがいない。

そのときにまた書いてみたい。


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