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多良間のおとうと多良間に行ってきた その4 塩川集落センターライブとバーベキュー編


集落センターで歌を聴く


その夜のライブは、塩川集落センターという場所だった。最初に予定していたお店は、コロナ騒動で使えなくなったのだ。

PAなどあるはずもなく、生音だという。「埃っぽいっていうか、なんていうかさ」と苦笑いするサクマさん。先に行って掃除してくれている。

みんなしてぶらぶら歩いて行くと、左手の家の庭先におとうが見えた。「ここ、親戚の家」と、合流したおとうが指さした家からセンターは目と鼻の先だった。建物は、中くらいの公民館という風情だった。壁には村長ならぬ歴代会長の写真がずらりと飾られている。舞台には「令和3年度塩川字定例総会」の横断幕がかかったままだ。

長机とパイプ椅子を並べ、持ち寄った酒肴で、それこそ寄り合いの打ち上げのようなライブが始まる。

残念ながら島の人の参加はなかったが、おとうの義弟にあたるクニさんが、とれたての刺身を用意してくれた。

音楽って虚業じゃない

今日もカラスさん、勇造さんの順。マイクロフォンがないことなど、ものともしない2人のことだ。むしろマイクの前に縛られない、自由さがいい。

開け放した窓という窓から通り抜ける湿った風も、みんなを開放的にしただろう。とても温かい、ほかでは経験できないライブだった。

旅に出る前、島の人が来ないかもしれない。ライブも危ないかもしれないと聴いたときはそれじゃ多良間島まで行く意味ってあるのかな、と訝る気持ちがあった。でも、それは、あさはかだった。

おとうと歌がつないだ縁で多良間島にいる。そしてカラスが歌い、勇造さんが「多良間のおばあ」を歌い、皆で酒を飲み、肴を楽しみ、カチャーシー(のようなもの)を踊る。音楽と人とがとても近かった。五感と音楽が響き合って、なんともいえないバイブレーションに包まれた。

おとうが「勇造さん、カラスちゃん、かっこいい!」と立ち上がり、2人にそれぞれハグをすると、勇造さんは涙をぬぐったように見えた。普段からありがとうを安売りしないカラスさんも「多良間で歌えてよかったです」と心からのお礼を口にした。

人がいて、場所があって、物語があって、人に向かって歌い、弾く。そして人もまた歌い、踊る。

音楽は「虚業」だと言う人がいて、私もそうだと思っていたけれど、全然違うじゃん。

勇造さんとおとうの心からのハグ。

おとうと、息子のカズさんにはさまれ、クニさんも挨拶に立つ。内地から来てくれたが島の皆でライブを楽しめなかったことを侘びるクニさん。明日のバーベキューのしたくも、すでに始めてくれているという。大勢で押しかけたのは私たちなのに。

おとうが「息子です!」と、茶化した調子で改めてカズさんを紹介する。いつもは親子で口げんかばかりしているのに、余程おとうもうれしかったのだろう。

一旦お開きとなり、みんなで片付けをし、最後に、はなちゃんが学校の廊下掃除みたいに走りながらモップをかけた。

いつか見たい満天の星

暗い道を酔いどれ加減の皆で歩いて帰った。

ぼやっと月が浮かんでいる。

「晴れていれば満天の星なんですよ」と、カントクが残念そうに空を見上げた。

満天の星。そんな空があるのも忘れていた。ムリだとはわかっていてももう一度空を仰ぐ。大雨予報だったのだから月だけでも上出来じゃないか。でも、やっぱり、いつかまた星降る多良間を見上げてみたい。

帰ってから食堂で飲み直し。タダさんは、だいぶいい調子だ。明日は那覇に移動するというK子ちゃんと沖縄ロックの話をしたりして、ぱくぱく食べて飲んでしゃべっていい調子だったが、隣に住むオーナーさんにたしなめられいそいそとお開きになった。

周囲にも気を遣われているんだろうなぁ。すみません。

朝のエーデルワイス

あけがたトイレに起きた。トイレは扉の外。サンダルをつっかけて行くのがかったるいなぁ。そう思いながら扉をあけると朝焼けだった。お日さまだよ!とみんなを起こして回りたい気持ちになる。

今回は傘の出番がほとんどない。自負していた晴れオンナの力はやや及ばずながら、梅雨時期としては上出来だ。

また一眠りと目を閉じてどれくらい経っただろう。表から音楽が聞こえる。エーデルワイスだ。時計を確かめたら6時だった。防災無線で流しているのだろう。それにしても、みんなこんな早くから一斉に床を出るのだろうか。

朝はんは、部屋で沖縄返還50年のニュースを見ながら前の日に買った「しかくパン」と、おにぎりを食べた。宮古島や多良間で何かを目撃したわけではないけれど、こんな日に沖縄エリアにいるというのも不思議だ。

今日は昼からバーベキューの予定だがそれまでカラス・レンタカーでドライブにした。あちこちに立つ小学生の書いた面白看板を撮影したい目論みもあったのだ。

お酒にまつわる標語が多い。でも飲む大人を愛しているからこその感じがいい
口をギャグと読ませるセンス!
撮影してるアンタのことでは

★看板のことが琉球新報に掲載されていたhttps://ryukyushimpo.jp/news/entry-1374570.html

くすりと笑い、ぐさりと響く…小学生のアイデア看板が話題 多良間島(琉球新報2021.8.16)

「なーに、一周しても20kmだから」とカラス氏。一周道路というから、海を見ながらドライブできるのかと思ったら防潮・防風林に守られているから、そう簡単に海は見えなかった。どこまでも続く林沿いの道。

ここは浜に出られるんじゃないかと突き進んでも、どっかの誰かの資材置き場だったりする。

途中、ナントカトゥブリ、カントカトゥブリという表記がいっぱいあった。なんでも海に続く小道をトゥブリと呼ぶそうだ。

逆にここからトゥブリをたどれば、きっと人のいるところに出るだろう。

やっぱりヨソモンは見られる側だ
名前も知らない浜で

なんという名前だかわからない浜に寄り、空港の近くで、黒い多良間牛を見て漁港に寄り昔の多良間空港でさびついた看板を眺めた。

途中雨が降ってくると電柱が並ぶ畑の合閒の道がミシシッピにみえてミシシッピみたいだ、とはしゃぐ。

電柱の具合だろうか。ミシシッピ的な風景

食べる、呑む、呑む、食べる、BBQ

しかしだんだん雲行きは怪しくなるばかり、風は強くなるばかり。こんなんじゃバーベキューなんてムリなんじゃないの、と心配していたら場所を変えるという。

クルマ4台で連なり、走る、走る。

半信半疑でついていったが、北から南のバーベキュー場に移ると、ウソのように風は静かだった。

クニさんが朝採ってきたタコに歓声が起きる。
クニさんの奥さん、アネットがソーセージや肉をどんどん焼いて、どんどんテーブルに並べる。昨夜から準備してくれた、おにぎりや、サーアンダーギーも食べるより早くテーブルにいっぱいになっていく。

アネットはフィリピンから来てこの島で暮らしているのだ。

食べる食べる、呑む、呑む。

誰かがヤシの実を落としてきて即席ヤシジュースも。

お酒を回し飲みして友好を深める「オトーリ」の真似事をしながら、改めて、ひと言ずつ挨拶もした。

実を言えば、私の人生にバーベキューの文字はほとんどなかった。1度、いや2度くらいはあったかな。その貴重な1回が、こんな贅沢なバーベキューになるとは。

タコを焼くおとうも真剣だ
コロナを忘れ宴のひととき
今度は水着を持ってこようかな

途中、浜に泳ぎに行く人たちに、ついていく。
「こんな長いのがすぐそばに来てびっくりした」と、Hりさんが興奮したように話す。遠浅の海では、シュノーケルをつければ、誰でも魚たちに出会えるようだ。そういえば昔、まだ結婚していたころ、ダイビングに憧れたこともあったな。
もう20年も水着は買ってないが、今度来ることがあれば用意しよう。

私は先行のクルマで一足先に宿へ。着くなり眠ってしまったが、まだまだ食堂ではにぎやかな宴が続いていた。クニさんの家に行ったグループもあったようだ。

あたりまえのことは、あたりまえじゃなかった

それにしても、みんな、よく食べ、よく飲み、よく話す。
人間の三大欲求は食欲・性欲・睡眠欲だと言われる。食欲・性欲以外は、排せつ欲、人と交わる集団欲だと言う人もあるようだが、どれにしたって私はボルテージが低い。常々感じていたことで今さら体質を変えることもできないとしても。としてもだ。

もう少し当事者になる生き方をしてもいいんじゃなかろうか。

あたりまえのことは、あたりまえじゃなかった。

いろんなものを背負って生きている。でも枷をつけているのは、自分なんだな。

翌朝は結構な強風であわや欠航か?! 多良間もう1泊も覚悟したけれど、クニさんとアネットも空港まで見送りにきてくれて結局、プロペラ機は飛び立ってしまった。

帰りは多良間→宮古→那覇経由。羽田から新宿までバス。これはスムーズだったが結局1日がかりになった。愚息の提案もあり部屋の一画に旅のコーナー誕生。




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