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たらまのおとうと多良間に行ってきた その2 宮古島編

電源に支配されたおんな

3時頃、ホテルの裏手におろしてもらう。
ほとんどの人たちは元は百貨店の建物だという「ホテルニュー丸勝」泊だが、私は「セントラルリゾート」という、いかにもな名前の宿を予約した。

期せずして新館であった。

着いてすぐカメラのバッテリーだのスマホだのiPadなどあちこちに差し込み充電しまくる。
丸勝にしなかったのは、コンセントをたくさん確保したかったからだ。

わたしは電源に支配されている女である。

屋上があると聞き、ひと休みした後に上がってみた。
パンフレットのようにカクテルを楽しむ人もなく、ただ風が強いだけだったが、鉄筋の古びたビルの向こうに広がる平良港の景色は、どこか生まれ育った昭和の千葉に似ているなと思った。

スマホが鳴る。
ライブ前に一杯やろうというお報せだった。
今回は大勢のメンバーをまとめるため、LINEグループが作られているのだ。

カメラ周りを支度して、指定の「喜山」へ行ってみる。
すでにサクマさんと、豊田勇造さんのファンである女性たちが座敷でお酒を楽しんでいた。

皆さん、大阪や名古屋などあちこちから来ている。所沢チーム以外は、はじめましての人ばかりである。緊張したが、旧知のように場に受け容れてもらえたので、マイペースを貫きながらビールを一杯飲む。

喜山は「おばぁ秘伝の島料理」という看板を掲げた島唄居酒屋だった。

リーダーのサクマさんが、島ならではの雰囲気で居酒屋を味わってもらおうとセッティングしてくれたのだ。

6時半になると、店内で民謡ライブが始まった。
三線に太鼓のデュオ。いきいきとした歌と音で一気に店中の雰囲気を染める。店員さんも鳴り物で応援し、いつの間にか、いっぱいになったお客さんもカチャーシーや手拍子で楽しんでいる。

ステージは1日3回らしい。
この人たちもコロナ禍では演奏できずに苦労したんだろうなぁと案じる。

男性トイレのドアに どぅん
こちら女性トイレも どぅん

宮古島のニューオーリンズ「Big Chief」

Big Chief到着

3ブロックくらい歩いて今日のライブ会場「Big Chief」へ。
レンガ造りの一軒家。
Big Chiefと聞けばニューオーリンズ・ファンならむずむずするはず。実際、ここの看板料理は「ガンボ」だ。

2015年まで わたしのホームタウン下北沢にあったのだが、宮古島に移転して今に至る。
https://bigchief-miyako.jimdofree.com/

マスターはプロフェッサ・ロングヘアのTシャツを着ていた。
「いいシャツですね」
とうれしくなって声をかける。

今回は撮影もありなかなかお話できなかったが、あとでFacebookの申請をしたら私の書いた記事をご覧になっていたらしい。
もっと社交的にならねばいけないなぁ。もちろん原稿もしっかり書いていかなければ。

Gumbo & Bar Big Chief(ビッグチーフ)
宮古島市平良字下里617
https://www.facebook.com/bigchief.miyakojima/

先行W.C.カラス Hot Dog Bluesから

ライブは、初宮古島のW.C.カラス先行で。

お店の渡辺夫妻は料理の支度にも忙しいため、PAを所沢チームの頼れるタダさんが務める。
呑みすぎてジグザグ漫歩になる姿しか知らない人に断っておくが、タダさんはその道のエキスパートである。なんと頼れるチームなのだろう。

勇造さんのファンのほとんどはW.C.カラスを初めて聴くはずだ。客席にもちょっぴり緊張感がある。
だが「Hot Dog Blues]「うどん屋で泣いた」と安定のナンバーが続くうちに、少しずつ表情がほぐれていく。

途中トイレットタイムのアクシデントはあったものの、珍奇を愛する世界観は、気持ちの良い歌声は十分に届いていただろう。

お店のMs.ワタナベさんのリクエストで「逆説のブルース」を。

一度だけ大阪でカラスさんのライブを観たという勇造ファンのK子ちゃんが合いの手で盛り上げてくれる。
K子ちゃんは聴きたい曲を紙にメモして持ってきている。
この純粋なファン魂、しばらく忘れていたな。
勇造さんのファンは皆さん、とてもまっすぐだ。

暗渠から流れ出た豊田勇造さんとの縁


笑顔もおおらかだ


続いて豊田勇造さん。
おおらかなバイブレーションが会場を包む。
フォークであり、ブルースあり。深いエモーショナルが溢れだしても決して湿っぽくならない。
そういう意味では、やっぱりロックンローラーという言葉がぴたりとくる。

身体全体から溢れるメッセージにリアリティがある。
政治に向かって行く歌だけが、メッセージソングではない。
歌い手が現実に真っ正面に向き合う歌は、すべてメッセージソングだと思う。

公に話す機会はあまりなかったが、勇造さんの活動は、つかず離れず見つめてきたつもりだ。

最初は、小学6年か中学1年のとき
「ある朝高野の交差点近くを兎が飛んだ」
という、けったいな題名の歌をラジオで耳にしたのだった。子どもは、けったいなものには敏感に反応する。
でもその歌は、けったいなだけでなくどこかせつなかった。

その後『さあ、もういっぺん』『走れアルマジロ』あたりまではオンタイムで追っかけた。

それからしばらく間があって『歌旅日記』は大好きで繰り返し読んだし、ずっと定期購読していた雑誌『雲遊天下』も
勇造さんと縁の深いものだった。

YUZO BANDには山田晴三さんらブルースの好きな私にもなじみ深い人がいるし、『振り返るには早すぎる』のジャケットで拾得の前でポーズを撮る姿を撮影したのはお世話になった
フォト・ジャーナリスト吉田ルイ子さんだ。

暗渠を流れていた水が、陽のあたるところに流れ出したように、私の中の豊田勇造像があきらかになっていく。

勇造さんとブルース


この日、勇造さんはブルースを歌った。

<ブルースに励まれて ブルースと生きていく>
というフレーズには、そうだ、そうなんだよと、うなずかずにいられなかった。

悪魔に魂を売り渡すイメージでブルースを歌い、語るのではない。自身に投影して歌ってこそのブルース。<いくつになってもこれからだぜ>を受けてのスライドも艶やかだ。

1949年京都生まれ、同志社大学。
西部講堂を引き合いに出すまでもなく、勇造さんはあの熱狂のブルース・ブームまっただ中に学生時代を過ごした人だ。
「ライトニンホプキンス」なんていう歌をはじめ、ブルースにまつわるナンバーもいくつも録音されている。

ニッポンのブルースを考える上で、大事なところを見逃していた。

 カチャーシーを踊るおとぅ みんなも踊る

たらまのおばぁ


最後にカラスさんが呼び込まれ、勇造さんが「たらまのおばぁ」を歌う。数年前に亡くなった、おとうの奥さんに捧げるうただ。

おとうとおばぁ(ここは、おかぁと言うべきか)は、島を出て野菜を行商したりしながら、間違いなく苦労して、大阪から所沢にたどり着いた。

勇造さんはお母さんには、一度しか会ったことがなかったそうだが、私は控えめにライブを見守る、やわらかな笑顔をありありと思い出すことができた。

齢重ねてからしかお会いしていないけれど、歌を聴いていると、赤花をつけた愛らしい若き姿も、おとぅと荒れた手で必死に働く姿も見えてくる。1曲の中に人生が流れていく。

カラスさんは一緒に歌うのかと思ったらギタリストとしての共演。弾きまくるレアな姿を見ることができた。

のひなさんと季節はずれ

そうそう、忘れてはいけない。
勇造さんのステージに、“のひなひろし”さんが呼び込まれ2曲歌ったのだ。

確か70歳だと思うが、少年のような透きとおった声。
マイナーコードにのせ「秋の日の片想い~」と10代よりピュアに歌う姿に腰が抜けた。

この「季節はずれ」という歌、どこかで聞いたことがあると思ったら、のひなさんは沖縄フォーク村にいた方であった。

沖縄フォーク村は佐渡山豊で知った。
やはり勇造さんと同じくエレックレコードからアルバムがリリースされたはずだ。
頭の中で佐渡山豊が「変わりゆく時代の中で」を歌い出す。

私は一晩で忘れかけていた1970年代と一足飛びに、つながってしまったのではないか。少し混乱した。

のひなさんに何か話したいことがあったのだが、そんなわけで、うまく言葉が出てこないでいた。

「ずっと歌っているんですか」とか、そんな当たり障りのない会話をしていると、少し間があって、のひなさんは
「やっぱり内地のひとは肌のきめが細かいですね」
と言った。それで、ますます何を話したらいいのかわからなくなってしまった。

気がつけば外は雷とひどい雨になっていた。

ライブが終わり、ようやく楽しみにしていたガンボと
なまずのフライを食べて、ジントニックを一杯飲んだ。日本語が飛び交っていることを除けば、気持ちはニューオーリンズなのだが、おとうの圧倒的な存在感が夢想を吹き消す。

「これ、ユウゾウさんと、キヨシちゃんに」
と、おとうが、海ぶどうと多良間産の黒糖を配っている。

「前に会ったのにごめんね、なにチャンだったっけ」
と私に名前を尋ねるおとう。ミエです、と答えるが次に顔を見たときには、ミナコちゃん? ミヤコちゃん?となかなか正解にたどりつかない。

そのうち、おとうが三線を弾き始める。チューニングは、ずれている。

 うーさーぎ、追ーいし、かーのやまー。

独特のリズムで歌われる十八番に手拍子が起きる。勇造さんがハーモニカで応援。おとうは三番まで歌い切った。
おとうは“思いいずるふるさと”に、いつの日にかと思いながら内地でがんばったのだろうか。

勇造さんにハーモニカでセッションしてもらい、ごきげんなおとう 

気がつくと、一人二人といなくなっていた。
私たちも帰ろうとしたが、カラスさんは「Good Luck」に呑みにいくからとカウンターに陣取ったままである。
「Good Luck」には下北沢のライブハウス「Garden」にいた
コヤシキくんがいるのだ。(ライブにも顔をだしてくれた)

それでカラスさんにギャラを落とされてはかなわんので、はなちゃんが封筒を、同室のタダさんが物販を入れたトートを預かる。はなちゃんは「これも持っていきますよ」と、さらにギターを背負おうとしている。

私は、ミュージシャンでもない女子に何をさせているのかとあわてたが
「そうですか。よろしくおねがいします」
と、カラスさんは頭を下げている。

なんちゅう、暢気。
勇造さんは、ギターを抱えて眠るというのに。

「ギターって結構重いんだね」と俄ギタリストになった、はなちゃんとの帰り道。
もう11時をまわっていたけれど宮古島の飲み屋は、煌々と電気がついてどこも若い人でにぎやかだった。

明日ね。皆と別れ、ホテルに帰る。
そして私はまたいろんなものを充電した。

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