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サンタはみんなに配らない

 この日本に、サンタにプレゼントをもらったことのない子はどれくらいいるのだろう。
 私は40代半ばだが、クリスマスシーズンになると保育園にサンタが来たし、クリスマスの歌、あわてんぼうのサンタクロースや、赤鼻のトナカイなどを歌ったし、子ども会や、学校でもクリスマス会やプレゼント交換があった。
 つまり、絶対にサンタを知らない子はいなくて、朝起きたらプレゼントがあるという夢をみるのである。

 この状況で、あえてなにも贈ってこないサンタがいたら、恨み言のひとつやふたつ言いたくもなる。なんなら、10歳まで貰えるとして10回もチャンスがあって一度も贈って来ないのだから、10年分は恨んでやりたい。

 そもそも、正月の歌にお年玉が欲しいから早く来て待ち遠しい、というような歌詞はないのに、サンタはタダで子どもに配りに来るというのだから、まあまあ罪深い。この欧米由来の茶番文化を取り入れてここまで浸透させた奴らを呪ってやりたい。
 結局、ただの季節商戦なのに。
 同様にバレンタインデーも大嫌いだが、今回はおいといて。

 話を戻して、10回はあったチャンスを一度も活用しなかった親、否サンタに40年以上経った今、なぜプレゼントをくれなかったのか問いたくなる。
 ウチは貧乏ではなかったと思うが、もしかしたら裕福ではなかったかもしれない。しかし、文房具ひとつでもお菓子ひとつでも、何か出すことはできたはずだ。
 今でも、クリスマス前にサンタへのお願いの手紙を見えるところに貼っていた幼い自分を思い出してはかわいそうになる。もしかしたら、ちょっといいおもちゃを頼んだかもしれない。
 しかし、朝にはどこにもプレゼントはなかった。2.3年くらいはねばったのではないかと思う。年中、年長、1年生くらいは。その後は諦めただろう。学校でクリスマスソングを歌うことも無くなったし、冬休みに入れば友だちの新しいおもちゃが何なのか知る機会もなくなったからだ。

 私には10歳年下の妹がいるが、妹が言うには物心ついたクリスマスの前に、私から「ウチにはサンタはこないからね」と先に釘を刺されていたので、期待することなく事なきを得たらしい。覚えてないが。
 その頃にはわたしも中学生だったので、自分でツリーをかざり、友だちを呼んでクリスマス会を開くことができたので、クリスマスの雰囲気だけでも妹に与えられたのは私の功労である。
 なにせ、私が妹の頃には最初のクリスマスツリーは松の木で、飾りはちょっとキラキラした緩衝材のみだったのだから。

 そもそも、ウチは頻繁におもちゃを買ってくれる家庭ではなかった。サンタがくれないなら、親がくれるかというと、親もくれないのである。なおさら、サンタにすがるのは仕方ないのだ。


 さて時が過ぎて結婚すると、クリスマスに対する憧れから、3万円もするクリスマスツリーと小物を買った。もっと安く手に入ったはずだが、わざわざ東急ハンズで買い求めたので高くつき、今となってはもったいなかったと思うが、それだけ貪欲だったともいえる。
 子どもの頃成せなかったことを果たそうと、大人になると異常な反動がくるとはよくきく話だ。

 夫は、サンタが来た家らしい。どんなふうに来たのか知らないが、私たちの子にも来ないとおかしいらしい。
 私には来なかったけどね!と憎まれ口を叩きながら、毎年サンタが来るようになった。
 6年生になっても大喜びで、疑う様子もない。今の子たちは、大人に囲われすぎじゃないか?いくらなんでも、10歳くらいまでには私の時代には教室でみんなネタバレしてたけどな。
 私がその時どう思ったかは覚えていないが、親にもサンタにももらってないので、全く本当に関係ない話だっただろう。

 さて、私のクリスマスへの思いは、ひとまわりして反動し、ふたまわりもしたようで、今年はやけに恨み節だ。

 すれ違った近所の人に、何気なく「サンタさん来た?」と聞かれ、うなづく末娘。

 ああ、ここで悲しい思いをさせないための儀礼か。義務か。茶番か。いずれにしても。
 良かったね。
 それだけだ。

 美しい優しい親子のクリスマス物語にするのは難しい。



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