見出し画像

自分の中の自分の声

コーチングを受け始めた昨年、コーチに、もっと自由にふるまいたい、ありのままの自分をそのまま出したいということを相談した。

すると、コーチは、わたしにとっての「自由」ってどんな感じ?と問いかけた。私は、「ピーターパンがロンドンの街の空を自由に飛んでいるシーン」を思い浮かべた。
そして、ソトでも自由にふるまえるようにとの思いを込めて、ピーターパンの一部を自分の名前に組み合わせて”みえぱん”というニックネームが生まれた。


天衣無縫

遡ること20数年前、以前いた部署で、部下のイメージを4字熟語で表す、といったことをしている上司がいた。
私がもらった4字熟語は「天衣無縫」。うれしかった。

まだ若くて、完璧でない仕事であっても優しく受け止めてくれる上司・先輩・同僚等に恵まれて、自然体で仕事をしていたからかな。

でも、今は、立場上、質問されたら適切な解を伝えることが求められるポジションにいて、「間違えられない」と過剰にプレッシャーを感じている。

ほんとは、心の中は、乾草のベッドの上で飛び跳ねるハイジなんだけど😊


自由を感じた場所

年を重ねて、母として職業人として、役割を求めれるようになり、だんだんと軽さがなくなってきていたが、最近、自由を感じたのは、アフリカで生活した頃。よそ者でわからないことが前提の生活だったから、失敗が怖くなくてその分自由だった。
また、欧米・南アジアやアフリカ等、海外の人たちは、自信にあふれ自由奔放(言いたい放題?そのまんま)だったから、あまり気を遣わなかった。
毎日が新鮮で冒険で、苦労はあったけれど喜怒哀楽があって楽しかった。


べき星人

さて、多くの人が、自分のなかに「べき星人」がいるのではないだろうか。

・きちんとすべき
・空気を読んで周りに心遣いをすべき
・きついことを言っちゃダメ 等々、人によって違う。

私と同じように、コミュニケーションの場面で、「べき星人」の声のほうが自分の心の声よりも大きくなって、「べき星人」の監視下で言動を選ぶ、誰も何も言わないのに自分で自分の行動を制限してしまう人もいるだろう。

私の場合、それで大きな問題はないものの、人と接することにエネルギーを使いすぎたりして、もっとありのままの自分でいたいと思う。大事な人なので気を遣っているのに、逆に壁ができちゃうし。

また、思考の紆余曲折を表さずに、最終的に選ばれた完成した言葉だけを発したとしても、傷つけまいと言葉を選んでも、その努力のわりに一瞬でその場面は流れて行く。そして、間違ってはいけない、傷つけてはいけないと考えすぎることで、かしこまった感じになったり、伝えたいことを伝えられずにのみ込んでしまったり、グルグル伝え方を考えすぎることで、かえってうまく話せなかったりするから。


べき星人を見守るOK先生

ありのままの自分でいるためには、「べき星人」がいるよね~、ということも含めて、ダメな自分もOKとやさしく包んでくれる「OK先生」にも心の中にいてもらいたい。

自分を制限するのも自分、OKを出せるのも自分自身。

完璧主義なので、ありのままの自分を出したいという目標を持ったとき、
無意識に、いつでもありのままの自分を出したい、という目標をかかげた。

でも、深くつながりたい人とありのままの自分でいたいと思っているのなら、いつでも誰でも職場でもは、目標高すぎ!だし、必要ないと気づいた。



安心安全な場

今日のグループコーチングでも、このことを相談。コーチが、安心安全な場だから、メンバーに厳しめフィードバックをお願いと言われたけれど、言えなかったし、厳しめなコメントは浮かばなかった。

「自分の言葉を信じ、心からの気持ちを伝えたいと思うことが大事」とコーチ。どう受け取られるかは相手の問題。

すごくシンプル。つながりたいなら伝えていこう。
そして、自分の中のOK先生から、不完全な自分へもOKを出そう。


刺激を受けた言葉

「ブレイン・プログラミング」(アラン・ピーズ/バーバラ・ピーズ著)の冒頭にあった次の言葉を胸に、もっと自由に~!

人生は、きれいに手入れの行き届いた体で安全に墓にたどり着くための旅であってはならない。もうもうと立ちこめる煙の中、船の甲板を転がって舷側に叩きつけられ、全身が傷だらけになってすっかり疲れ果て、「まったくなんてひどい乗り心地だ!」と、大声で泣きわめいてこそ人生だ。

ハンター・S・トンプソン


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?