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キラキラじゃない高校生活

前回で小学校、中学校とふり返ってきたので、やはり高校時代もふり返っていこうと思います。
中学校時代、学校の成績だけはすこぶる良かった僕は、当時特になりたいものがあるわけでもなく、「つぶしがきく」という周りの意見に最終的には従い、県下の進学校(普通科)に進学したのです。この時の判断が正しかったかそうでなかったか問われれば、半々と答えますが、この高校時代、僕は精神のバランスを崩してしまいます。
今回は、自分が精神疾患を患うことになった端緒について、書いていこうと思います。


▶普通科は「中学校の」延長?!

当時の、偏狭な僕の考えでは、高校普通科は、いわゆる中学校の延長でしかなく、言ってしまえば「つまらない」ところ、という認識だったのです。
中学校の成績がたまたま良かったために(もちろん努力はしていました)、
高校なんて進学しても仕方ない、とか
当時、歴史が好きだったので、少し遠いところにある高校に「比較文化歴史コース」というのがあるのを知って、そこへの進学を考えたり…。
迷走していました。
結局、「つぶしが効くから(いま、なりたいもの、したいことが分からなければ)普通科へ進学するのが良い」という周りの大人たちの助言に従い、
県下でも有数の進学校へ入学します。

▶授業についていくのに必死

1年生の時は、とにかく授業で分からないところを残しておかないように、「授業についていく」のに必死でした。
もともと理数系科目に弱点のあった僕は、高校化学や、数学ⅠA で躓きました。中学では得意科目だ(と思っていた)った英語も進度が早く、予習はおろか、復習もろくにできませんでした。

▶異変

2年生になると、ちょっと異変が起きます。
何故かクラスに馴染めないのです。
休憩時間は、友達と話すわけでもなく、自席で時間を持て余し、お弁当も一人で食べていました。決して好んで一人でいるわけではなかったのですが、自分から「輪」に入って行くことができなかったのです。
あるクラスメイトは、「一緒に弁当食べよ~」とか気にかけてくれるのですが、うまく応えられず、ペアにならなきゃいけない授業では、本当に苦労しました。

そうこうしてるうちに、家で出された食事が食べられない(食欲不振)という症状が出始めます。そして夜眠れない(不眠)という初めての症状も出てきます。
次の日は学校を休むのですが、部活(山岳部)の仲間から家に電話がかかってきて(当時携帯はそこまで普及してなかったと思います)、「大丈夫か~?」と。この時の電話は、学校の公衆電話から部活の仲間が代わり番子で掛けてきてくれたことを後から知ります。涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。

▶ストレスからのうつ症状

今では、ストレスがうつの原因になり得るとわかるのですが、当時の僕は、うつに代表される精神的な症状や病気は、「心が弱い人がなる病気で、自分には関係ない、遠い世界のはなし」という認識でした。(とんでもない偏見ですね)

ある日、担任の古典の授業中、なんか急に泣けてきて授業中、涙をぽろぽろ流し泣き出すんですね、僕。
それで、ただごとではないと判断し、担任が保健室まで連れて行ってくれるのです。こんなことがあり、ぼくは心療内科に通うことになります。
しかし、往生際が悪く、「ここ(心療内科)は自分が来るべきところではない!」と思い、ちゃんと通院しないのです。この時点で、たしか高校2年生の夏休み前です。
きっと、進学校へ入学してからの「無理」が祟ったのでしょうね。精神のバランスを完全に崩していました。

ちょっと長くなりそうなので、この続きはまた今度書きますね。

▶【番外】高校時代の色恋

ちょっと話は逸れますが、精神的にバランスを崩し始めた辺りから、自分は【男の子が好きで、これは墓場まで持っていくしかない事実なんだ】ということを考えるようになりました。
高校2年=17歳という、人生で最も輝かしい青春時代を過ごしているであろう時期に、とても鬱屈した高校生活を送っていた僕は、当時の馴染めないクラスにひとり気になる男子がいました。彼は、細い目の短髪で地黒の柔道部の子。なんというのか細目が好きなのはこの辺りからでしょうか(笑)。
陽に灼けた肌というのではなく、地黒なのです。
僕は、このH川くんに、密かな恋心を抱いていました。
決して「イケメン」の部類には入らないかもしれないけど、素朴な良さが彼にはありました。
でも、「墓場まで」という呪縛のせいで、僕の片思いで終わるのです。
(実は、このH川くんとは、社会人になった15年後に再会することになるのですが。)





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