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vol.7 祖母の教え

流れ出た涙に気付いた私は、オムツのことを他の誰にも知られてはならないような気になっていた。
何故ならばその頃、弟は成長してオムツから紙パンツを使用するようになっていたからだ。
トイレに行く練習をさせている時、

「いつまでもオムツしとったら赤ちゃんのまんまよーー。お兄ちゃんはオムツせんのやけどねー」

と、私は弟に言って聞かせていた。
その自分の経験値から、祖母がオムツを着けていることが恥ずかしくて泣いたのだと勘違いしたのだ。


汚物を片付け部屋に戻った私は、再び祖母の枕元に膝まずき、

「ばあちゃん、泣かんどき…私、誰にも言わんけん、心配せんで良いけんね。歩けんくなったんやけんしょうがないやん…早よ、歩けるようになったら良いねー」

と、自分なりに精一杯慰めたつもりだった。
祖母は寝たのか寝た振りをしたのか、そのまま何も言わなかった。


夕方、母が帰って来た。
母は息を切らしながら祖母の部屋まで来ると、

「お母さん、オシメ替えた方が良いんやないと?」

と、扉を開けた途端にそう言った。
祖母の近くに座っていた私はギョッとして、

「あーーーーーーーーーーーーーー」

と、慌てて大きな声を出した。
驚いた母は私の方を向いて、

「あんた何言いよん?そんな大声で急に叫んだらばあちゃんびっくりしようもん⁉︎」

と、怒り顔を剥き出しにした。
誰にも言わないと誓った矢先に母の口から〝オシメ〟と言う言葉が出てきたことに気が動転した私は、思わず叫んでその言葉を掻き消そうとしたのだ。
けれども、同時に飛んで来た母の金切り声と鬼の形相を目の前に、その恐ろしさに直ぐさま口を噤んだ。
すると、祖母がゆっくりとした口調で、

「おい……そう怒るな。○○(私)がの……替えてくれたんたい。ほんと、こん子には世話になってばっかりで申し訳ない…」

と、母に向かってそう言った。
母はそれを聞いた途端、今度は目を丸くして、

「えっ?替えきったん⁉︎ちゃんと替えれとるん?」

と、横たわっている祖母の顔を覗き込むようにして尋ねた。

「○○(弟)のオシメを替えよったけやろう…
手際が良いわ…最後に温いタオルまで持って来て尻を拭いてくれたんよ」

と、天井に顔を向けたまま、祖母は口だけを動かした。
私は入って来る祖母と母の会話に聞き耳を立てていたが、なんだか自分が褒められているような気になって来た。
そうして、出番とばかりに二人の間に割って入った私は、

「お母さん、ばあちゃんのオムツのことは誰にも言ったらいけんよ‼︎ねーちゃんとか○○(妹)にも絶対言わんとってね。私、ばあちゃんと約束したんやけん‼︎分かった⁉︎」

と、母に言い付けるような口ぶりでそう言った。母は目を大きくし口を窄めると、扉を閉めてリビングへと立ち去った。



私は祖母の様子を毎日観察していた所為か、人の行動を観察するのが好きだった。
弟が産まれた時はとくに目にするもの全てに興味をそそられ、母がミルクを与えたり、オムツを替えている時には必ずと言っていいほど横にぴったりとくっ付いて離れなかった。
母はオムツを替える時、大便が出ると必ず、

「わぁー、いっぱい出たねー。良かった、良かった」

と喜んでいた。
不思議に思っていた私がある時、

「うんち臭いし、汚いのに何で喜ぶん?」

と、聞いたことがあった。
すると母が、

「うんちが出らんと病気になるけんね。いっぱい食べて、いっぱい出した方がいいんよ。だけん、出てくれたら嬉しいやろ?」

と言っていた。
私はその時に、便が出るのは良いことなんだと思った。
私が祖母の排泄を処理することに抵抗が無かったのは、その記憶が残っていたからだろう。


それからと言うもの、オムツ替えは祖母と私の極秘ミッションとなった。
私はオムツを替えている時に、祖母の部屋の開き戸に内側からつっかえ棒を挟んで誰も入って来れないようにした。
こんなところで私を押し入れに閉じ込めて遊んでいた、姉と妹の悪知恵が役に立つとは思ってもみなかった…
回数を重ねるごとに、祖母の腰を上げるタイミングと私がオムツを引き抜き、ねじ込む息がぴったりと合うようになって来た。


そんなある日の出来事だった。
祖母がいつものように寝床から私を呼び付けた。それに気づいた私は祖母の枕元に行き、筒状にした手で口元を囲い祖母の耳の近くで、

「オムツ?」

と、聞いた。
すると祖母が、

「違うんたい…もう少しこっちに来い。誰もおらんか?」

と、周りの様子を気にして私に尋ねた。
祖母のいつもと違う様子に、

「おらんよ?どうしたん⁇」

と、今度は私がソワソワしながら尋ねると、祖母はまるで昔話を聞かせるように話し始めた。

「今朝方の…わしは三途の川を渡ったんたい。向こう岸に着こうとした時にの…誰かが〝そっちに行っちゃいかん〟っち言うて腕を引っ張ったんたい。
そいでとうとう連れ戻されたんじゃ。そしたら枕元に〝きゅうべいさん〟が立ってからの…
〝お前は心配ごとを残しとるけんまだ死なれん〟っち言うんたい。わしが〝歩かれんし居ってもいっしょじゃ〟っち言うたら、歩けるようになるっち言うたんじゃ。信じられんじゃろう?
こげな話、頭がおかしなったっち思われるけ誰にも言われんじゃろうが?」

普通ならば三途の川が出る時点で〝死〟を連想し怯えたりしそうなものだが、当時の私には何の話しをしているのかさっぱり分からなかった。
私は、話し終えた祖母に向かって、

「きゅうべいさんっち誰なん?」

と、素朴な疑問を投げかけた。

「わしの爺さん方の先祖らしい…」

と、祖母。
私は、どうやったら祖母の枕元に〝きゅうべいさん〟とやらが立てるのか想像してみた。
見た事のない人やものを思い浮かべてみるが、そこには真っ白な世界が広がるだけだった。
だんだんと頭の中が白い景色でいっぱいになり、パンパンに膨らんでいたその時、私の目の前で衝撃的なことが起こった。
寝ていた祖母が箪笥の方へとじわりと身体を寄せ、そのまま角に捕まりながら立ち上がったのだ。
私は破裂しそうだった頭中の空気が徐々に抜けていくような感覚で、呆然とその姿を見つめていた…


〝きゅうべいさん〟の出現が、祖母が立ち上がったことと物理的に関係あるのかどうかは分からないが、現実的に祖母が歩けるようになったこの時の祖母の話しを、私は一字一句鮮明に覚えており忘れることが出来ない。
しかも、祖母はこの奇妙な出来事から三年間、再び歩くことが出来るようになったのだ。
それも〝きゅうべいさん〟の予言どおり、私達家族はこの三年間、激動の日々を送ることとなり、祖母が居なければ成り立たないものであった。
そのことも重なり、私は説明の付かない現象が世の中で起こることを認めざるを得なくなった。

その後私はと言うと、何でも知りたがる性格から誰も居ない時に仏壇からこっそり家系図を持ち出して〝きゅうべいさん〟の所在を調べてみた。
けれども家系図には、亡くなった祖父の名前しか書かれておらず、真相は分からず終いのままとなっている。



祖母の話しから少し遠ざかるが、私が20代前半の出来事も書いておきたいと思う。
その頃、私には18歳からお付き合いをしているひと回り年上の彼氏がいた。
片親の彼は母親をとても大切にしており、しょっちゅう実家に遊びに連れて行かれていた私は、たまにひとりでも母親の元へと遊びに出掛けていた。
彼の実家の隣りには母親の弟の家があり、そこには母親の母、つまりは彼氏の祖母が一緒に住んでいた。
そのうち、お正月など親戚の集まりにまで私も誘われるようになった。
その当時、彼の祖母は80歳を過ぎていたが、いつも着物姿で姿勢が良く、小柄でとても品のいい女性だった。
私はその祖母の姿をたまに隣りの庭で見かけるくらいで、親戚の集まり以外では話したこともなかった。
そんな祖母がある時庭で転倒し、大腿骨を骨折してしまいそのまま歩けなくなった。
彼の母親は自宅介護をする選択をしたようで、母親の弟の家には介護ベッドが導入された。
それからの私は、中々家から出掛けることが出来なくなった彼の母親を気遣い、度々買い物を手伝いに訪れるようになっていた。
祖母の介護が始まって数ヶ月くらい経った頃、いつものように彼の実家に行くと、そこには母親の姿はなかった。
祖母のところに居るのだと思った私は、隣の家のチャイムを鳴らした。
すると何やら声が聞こえたので玄関の扉を少し開け、

「こんにちは!○○ですー」

と、声をかけた。
すると中から、

「今、手が離せんけん入って来てーー」

と、母親の声が聞こえた。
私は、

「お邪魔します」

と言うと、彼の祖母のベッドが置いてある部屋へと恐る恐る歩いて行った。
彼の祖母の家に一人で入るのはこの時が初めてだったからだ。
人の気配を感じる扉を開けると、途端に異臭が鼻を突いた。だからと言って引き返す訳にも行かない私は、そのまま中へと入った。
部屋の中では母親が忙しなく動いていた。
私に気付いた母親は、

「ごめんね。今、ばあちゃんのオムツ替えとったけん、手が離せんかったんよ」

と、一旦手を止めそう言い、また動かし始めた。
私は部屋の入り口付近でどうしたらいいのか分からず、そのまま立ち竦んでいた。
すると彼の母親が、

「そんなとこに立っとかんで、こっちにおいで」

と、再び手を一瞬だけ止めて、こちらに向かってそう言った。
その言葉に気づかない振りも出来なかった私は、促されるようにして彼の祖母の横たわるベッドの近くへと足を忍ばせた。

「うんちが硬くて出らんのよ」

誰に言ったのか、母親がぶつくさと呟いた。
そして、

「ほら、お母さん、もっと力んで‼︎先生も言いよったでしょう⁉︎大便が出らんと余計に身体がキツくなるって…」

と、今度は寝ている自分の母親に向かって声を掛けた。
居心地の悪い空間の中でどこを見たらいいのか戸惑う私は、空中に目を泳がせた。
否が応でも目の端に映り込む、変わり果てた姿の彼の祖母。
庭先の花に水やりをする上品な姿は、その影さえも見当たらなかった…

「駄目…引っかかって出てこんわ…」

独り言を口にする母親。
すると突然立ち上がり、私を通り越してキッチンへと歩いて行った。
戻って来たその手には、割り箸が握られている。

「出口に突っかかって取れんのは、これで出してやるんよ…」

私の横を通り過ぎようとした母親がこちらをチラッと見てそう言うと、素早く元居た場所に戻り、持ってきた割り箸を割って作業に取り掛かった。

えっ⁉︎

驚いた私はそちらへ目を奪われそうになったが、慌ててそれを回避した。
私は目を逸らしたまま、母親に向かって愛想笑いを浮かべた。
けれども、口角は上手く上がらなかった…


それから時が過ぎ、お正月がやって来た。
例の如く彼の実家では、親戚の集まりが催されることとなっていた。
その年は彼の祖母の病状が芳しくない為、遠方からも親族がたくさん来ると言う。
それを聞いた私は、彼の母親が大変であろうと思い手伝いを事前に買って出た。

いよいよ親族が集まるその日。
私が手伝いをしていると、

「ばあちゃんのことでどうしても出掛けんといけんのやけど、2時間くらいばあちゃんのことお願いしてもいいやろうか?部屋に居てくれるだけで良いけん…」

と、母親が急に言い出した。
親族が集まる前にどうしても弟と二人で済ませておきたいことがあるようだった。
私は、

「良いですよ」

と言って、隣りの家に移動した。

「今日は皆さんが集まられるから嬉しいですね」

静けさが漂う一室で、あまり面識のない彼の祖母と二人きりの状態に耐え兼ねた私は、横たわっている彼の祖母へと話し掛けた。

「はい…」

ベッドの中から、小さくてか細い声が聞こえた。

「皆さんも楽しみにされているでしょうね…」

と、続けて言った私。

「……………」

彼の祖母の息遣いだけが聞こえた。
どうやら、辛い身体を跳ね除けて口を開く元気がないようだ。
私は話し掛けるのを辞め、自分のバックから本を取り出し読み始めた。

それから30分ほど経った頃だった。
部屋の空気の異変に気付いた私は顔を上げた。
どこか懐かしさまで感じる臭いに、私は彼の祖母が用を足したのだと分かった。
正確には、〝足せた〟のだと思った。
私はその空気に包まれながら、どうしたものかと考え出した。
気付かない振りをした方が良いのか…
それとも……

時計を見ると午後3時を過ぎていた。
私は頭の中で、母親が帰って来てからのことを想像した。
夕方には親族がやって来ると言っていた。
全てが身内なのだから私の出る幕ではないような気もする。

どうしよう…

悩んだ末に意を決した私は、

「気持ち悪くないですか?もし私で良かったら交換しますよ。皆さんが来てからだとお嫌じゃないですか?今なら二人きりなので、その方が良いんじゃないかと思いまして…」

と、彼の祖母の枕元に座り込みそう言った。
それから返事を待たずに、

「私のことを看護婦さんだと思ってくださったらどうでしょうか?私、自分の祖母のを交換していたんです。だから、あまり気になさらなくていいので…」

と、気を紛らわせる為の言葉を付け加えた。
少しの沈黙の後、

「お願い出来ますか…」

と、彼の祖母が吐息のような声を放った。
それを聞いた私は立ち上がり、押し入れからオムツを取り出すと、必要な物をあれやこれやと探し出して準備を整えた。
彼の母親がオムツを替える姿を見ていなければ、何が何処にあるのかさえ見当が付かなかっただろう…
つくづく物事の必然性を感じた。
臀部の洗浄が終わって新しいオムツに取り替える時に、彼の祖母が腰を浮かすことが出来ないことに気付いた。
しかしながらその時の私は、自分よりも二回りも小さな身体を容易に動かすことが出来た。
幼き頃の記憶が舞い戻り、祖母の姿が重なって見えた。
会いたいと思う気持ちが胸の辺りをズキンと疼かせた…

処理が終わった私は汚物を片付け窓を開けた。
無事、空気の入れ替えが済んで何事も感じることがなくなった頃、母親と弟が帰って来た。
すると、それから間もなくして続々と親族が到着した。
残された時間を惜しむように、横たわる祖母に駆け寄る者達…
その大切な時間を〝憚るものがなくて良かった〟などと思いながら、私はそっと部屋を後にした。
このことは、彼氏にも母親にも一切口にしなかった。する必要性を感じなかったからだ。
ひとつ付け加えると、その時の便がしっかりと出ていてくれたのは幸いだったと思う。


私の祖母は、私が18歳の時に亡くなった。
成長するに連れ様々な経験と共に、幼い頃の自分の勘違いに気付いていた私。
彼の祖母のこの選択は、私がそれを理解したことを決定づける出来事だった。
祖母は退院してきたあの日、身内に〝しも〟の世話になることを悲観していたのだろう。
排泄処理を人にしてもらうことは、これまで幾度と挫折を乗り越えて来たはずの祖母でさえ、絶望感に苛まれるほど耐えがたいことだったのだ。
それでも住み慣れた家に戻りたがった祖母。
帰りたい気持ちと〝しも〟の世話になる現実。
どれほど自分自身と葛藤したのだろうか…
そんな中、幼い私がとった行動は、勘違いしながらも祖母の自尊心を守ることが出来たのではないかと思うと、今更ながら安堵感を覚える。

私は祖母と彼の祖母のおかげで貴重な経験をさせてもらった。
だからこそ、介護をされて来たお客様の話しに共感することが出来たのだ。
介護をする側の大変さも勿論理解しているつもりだ。しかし、人は自分が大変になればなるほど見失ってしまいがちなことがある。
それは、される側の気持ちだ。
あの時の祖母の涙が、私にそれを気付かせてくれたのだった…


介護サービスが普及されてきた現代。
身体的な問題が起こり、自分ではどうしようもなくなってしまった時…
プロの介護士にお願いすると言う選択ができる時代に生きる私達は、とても幸せなことだと思う。


〜続く〜


百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!