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私と娘と吹奏楽

今日、私の娘の高校の吹奏楽部が、厳戒体制の下で定期演奏会を行いました。

元々は例のアレのせいで開催断念に追い込まれそうなところを、顧問の先生方のご尽力で、やっと開催にこぎつけたと聞いています。

娘にとってはこの演奏会が引退の晴れ舞台、例年のように沢山のお客さんの入る、大きな会場で開催できれば何よりだったんですが、規模も縮小して、観覧は3年生の保護者のみ。

そのため3年生の引退式では、恒例となっている野球部からの個々への大エールがなく、娘達の学年には寂しい演奏会になってしまったかもしれませんが、そんな中でも全力で演奏してくれた曲は、間違いなく私の心に届きました。

さて娘は小学生の時は、なんとバレーボール部に入っていました。
正確には、小学校の部活ではなく、地域の任意団体のバレーボール部だったんですが、半ば妻に無理やり入れさせられたような部分がありました(;^_^A

私は非体育会系なので、たまに練習の後のお迎えに行ったりすると、まだ練習が続いてて、指導者の暴言(?)や指導内容の壮絶さに眉を顰めてしまったことがあります(-_-;)

(まだ小学生なのに、そんな厳しいこと言わんでもええじゃんか)

こんな考え方していると、後にバレーの日本代表になるような選手は育たないかもしれませんが、私には明らかに娘が小学校卒業後、中学、高校でバレーボールを続けたいと思ってるようには見えませんでした。

そこで、中学校に入ったら、吹奏楽をやればいいよ?

と、5年生頃から娘に吹奏楽を勧めてきたんですけど、それはやはり自分が吹奏楽部に中2の途中からでも入部して、今でも良かったと思っていること、素敵な出会いを通じ、今でも交流が続く沢山の先輩、同期、後輩が出来たという、確固たるバックボーンがあるから、自信を持って勧めていたわけです(/ω\)

果たして娘は中学に入った時、無事に吹奏楽部を選んでくれました♪\(^o^)/

楽器は倍率が低いからという理由で(笑)ホルンを選んだのですが、いつの間にか吹奏楽に関する知識は私のレベルを凌駕するほどになり、時には娘の質問に経験者として答えられないという、情けない場面もあったりしました(苦笑)

そんな娘を見ていると、私も吹奏楽曲聴く専門から、四半世紀のブランクを顧みず、バリトンサックスを吹きたい!と強く思うようになりまして、富山県内で活動している某一般楽団の門を叩きました。
娘が中1の冬の頃、2015年の暮れです。

私自身、高校後半からOBとして現役生のサポートをしていた頃は、バリトンサックスから打楽器の人へと変身していたので、バリトンサックスを吹いたのは1990年6月以来という、本当に25年ぶり、四半世紀ぶりだったんですが、やはり体が覚えていると言いますか、スムーズに音が出ました。

この時は嬉しかったですね~(⌒∇⌒)

その楽団では4年ほどお世話になったんですが、今年2月に諸般の事情で退団せざるを得なくなってしまいました。
なので再び聴く専門になっていますが、私の高校時代の先輩から、ソプラノサックスとアルトサックスをご恵与頂いたので、いつしかまたステージに立ちたいな、と思って、練習をチョコチョコしています🎷(;^ω^)

私の話になってしまいましたが、娘は高校進学後も吹奏楽を続けてくれました。
コンクールや定期演奏会、地域の依頼演奏など、観に行けるものは私も観に行っていましたが、それも今日で見納めです。

今日の演奏会を見ていましたら、何故か自分が引退する時の、高校3年の時のコンクールを思い出し、胸が熱くなりました。

私は引退演奏(?)で、満足いく演奏が出来なかったんです。
今でも悔しいんですけど、娘は満足いく演奏が出来たかな?悔いは残らなかったかな?

思わぬ展開になってしまった、娘の最後の演奏会でしたが、中学から通算して約5年半、娘が「吹奏楽やって良かったよ!」と、いつか言ってくれることを期待しています。

因みにトップ画は、私が高2の時に出た、広島県吹奏楽まつりというイベントで、演奏後にRCC中国放送のアナウンサーからインタビューを受けている所です。
このインタビュアーは、現在RCC中国放送で月曜〜金曜の朝7時から9時までおはようラジオを放送している、本名アナです🎤
広島にお住まいの方がおられたら、新人の頃の本名アナはこんなだったのか❗と思って見て下さいね😉

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