見出し画像

【たべもの九十九・ゆ】湯豆腐〜熱燗と共に

(料理研究家でエッセイストの高山なおみさんのご本『たべもの九十九』に倣って、食べ物の思い出をあいうえお順に綴っています)

この話を書き始めたのは残暑厳しい時期で、こんな暑さの残る時候に鍋の話もどうかと思ったのだが、気がつけば鍋が食べたくなる季節になった。noteを書く暇がないくらい忙しかったからなのだが、それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。とにかく50音は書き切ろうと決心している。

さて、「ゆ」の項で真っ先に浮かんだのは湯豆腐だった。

豆腐の食べ方で我が家で一番多いのは味噌汁、続いて冷奴、たまに麻婆豆腐。湯豆腐は冬にたま〜に作る程度。

実は子供の頃、食卓に登場すると残念な気持ちになった料理の一つが湯豆腐だった。湯豆腐にしてみたら不本意だろう。「味がない」と思っていた。味がなくてご飯のおかずにならない。豆腐は他の鍋料理にも登場するお鍋の常連食材だけれど、そこでも「まずは豆腐から!」といったように積極的に豆腐を選ぶことはなかった。

あれ?私は結構豆腐を邪険にしてきたみたい。けれど、大人になって豆腐の地位は大いに上がった。健康食材だからという理由だけでなく、豆腐の味がわかるようになってきたのだ。

初めて心の底から豆腐を美味しい!と思った時を覚えている。それは生まれて初めて訪れたパリの日本料理店であった。テレビの取材で訪れたパリで、決定権を持つディレクターが和食党であったためご当地飯ではなくパリの日本食居酒屋で夕飯を食べた。そこで出された豆腐に衝撃をうけたのである。それは湯豆腐ではなく冷奴であったが、何の気なしに口に運んだ豆腐の味と香りの芳醇だったこと。
「なにこれ、美味しい!」

それは私がそれまで食べてきた豆腐とは全く異なるものだった。豆乳とニガリで作った自家製の豆腐だったのだろうか。その豆腐には確かに「味があった」。

たぶんここが転換点で、以来私は豆腐好きになった。
外食するようになって、いろいろな豆腐の食べ方を知ったこともあるかもしれない。

そしてある日、心底美味しいと思える湯豆腐に巡り合った。それがどこでだったのかはっきり覚えていない。湯豆腐といえば京都の南禅寺が有名であるが、そういう有名どころではなく、旅館の料理の一品だったか、どこかの居酒屋だったか。

火にかかった鍋の中で白い絹豆腐がその柔らかい体をフルフルと揺らしていた。鍋の中央には薬味の入ったたれが器ごと入っていて、湯に温められていた。
芯まで温まった豆腐を崩さないように蓮華で掬い、器に入れる。そこに鍋中央の温かいたれをかけて食べる。ネギやおろし生姜や鰹節などが入っていたと思うが、めんつゆに似た甘辛いたれがあったかい豆腐にぴったりであった。口と鼻で湯豆腐を味わい、つるんと喉を通っていったあとは、体の中でその温かさを味わった。味、食感、温度が見事に調和していた。食べたその瞬間から幸せな気持ちが胸いっぱいに広がった。

私のそれまでの湯豆腐の食べ方は、昆布だしで温めた豆腐をポン酢醤油か醤油で食べていた。それはまずくはないけど特別美味しいとも思わなかった。

なのに。

めんつゆ薬味だれを湯煎して温かくしただけで、湯豆腐は全く別の食べ物に変わった。

なにこれ?
たれの問題だったの?
お化粧して見違える女性のように、つけだれを変えただけでこんなに変わるものなの?

そうなのかもしれない。
豆腐はシンプルな優しい味わいの食材だから。
料理法や味付けでいくらでも変わる。
豆腐はすごい!変化自在だ。

そして湯豆腐には熱燗を添えたい。
あったかい豆腐を食べて、あったかいお酒を口に含む。どんどんぽかぽかしてくる。体も気持ちも。
あったかくなると緩む。

緩ませてくれる食べ物ってなんかすごい。
あー、湯豆腐が食べたくなってきた。

今日は北の冷たい空気が入ってきて、昨日より10度も気温が下がった。こんな日は鍋に限る。湯豆腐は出汁昆布と豆腐とめんつゆがあればすぐに作れる。こんなに簡単な鍋料理は他にない。ビバ湯豆腐!

昔邪険にしていたにも関わらず、今は湯豆腐愛に溢れている。

好きなものが増えることはいいことだ。

★★★いつも読んでくださってありがとうございます!「スキ」とか「フォロー」とか「コメント」をいただけたら励みになります!最後まで、食の思い出にお付き合いいただけましたら嬉しいです!(いんでんみえ)★★★

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?