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瞬間瞬間は別々の存在
こんにちは。いしづかみえです。
たわいもない日常を言葉にしていく試みをnoteではじめました。
今日は1日目。6月1日です。
雲をみる
最近はじめたばかりですが、
日課に、「空をみて、雲を見る」ことを取り入れてみました。
そうしましたら、雲には表情がありまして、表情を眺めていくと
ついボーッとする時間が増えてきました。
見続けると、雲にもメッセージがあるのかも知れない!だなんて
自分で勝手にイメージを膨らませています。
龍に見える、シーサーに見える、犬に見えるなど、
こう何かに「寄せてみる」ことが増えてました。
思い込みの世界の中で、膨らませることも増えました。
思い込みの積み重ねが世界と考えると、雲に対する思い込みも、また一つの真実かなと思いました。
龍をみつけた
一昨日見た雲が、龍に見えました。どうぞ。
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![](https://assets.st-note.com/img/1717217277913-rFH4lrOvsJ.png?width=800)
ささいな日常と一瞬の希少性
雲を眺めることは、ささやかな日常の中に、ラッキー探しに似ている気がします。
ラッキーなことを探すという在り方そのものが、見えている世界から、何か大切なものを拾い上げていくような、そんな感覚を味わう生き方を示している気がします。
そのような感覚に浸っていると、あっという間に、雲が流れていき、だんだんと違う雲へ様変わりしていきました。そうすると、先ほどのイメージとは全く違った雰囲気を帯びていて、不思議な感覚になっていきます。
雲をながめていて感じたことと、人生訓的に共通していることは、全て一瞬一瞬存在するというものです。
そして、この一瞬がその先にある連続性を持っているわけではなく、本当に一瞬一瞬なんだということです。ある一瞬と、次の一瞬が全く別物になるという感覚を、雲を見ていると感じてしまいます。
だからこそ、雲に何かメッセージがあるとしたら、そのメッセージは一瞬で無くなってしまいます。実は生きるということも、その一瞬を一つの日常の気づきとして、またはチャンスとして、見つけて、掴めるかどうかにかかっているのかもしれません。
一瞬一瞬に価値あることが、実はこの世界にはたくさんあるのかも知れないと思いました。
今日の雲は入道雲
今日の雲を眺めてみたら、夏の元気いっぱいな雰囲気の、パワフルな入道雲でした。夏本番に向けて進んでいますね。雲を通して、瞬間瞬間を掴む日課をもう少し続けてみようと思います。
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