くるぶしがキンとならない人生
わたしが忘れていた心
今日も今日とて雪が降っています。
思い返せば小学生のころなどは、雪山にまっすぐ突っ込んでいっては体中を雪まみれにして遊んでいました。いつから靴に入る雪を憎むようになったのだろう。キン、と冷えるくるぶしが心地よかったのはどうしてだろう。
このままくるぶしがキンとなることを避けつづけて生きていくのでしょうか。そんな人生はあまりにつまらない。
そのとき、わたしはふと思い出しました。
小学校で一番仲の良かった友達の顔。雪山にのぼって足をとられ、雪中に片方の靴を取り残してしまった友達の表情。片足立ちで呆然とする彼のため、わたしは果敢にも雪山に飛び込んだのでした。長靴をものともせず入り込む雪が、わたしのくるぶしをキンとさせます。
気づけばわたしは靴を脱ぎ、一掴みの雪を靴の中に放り込んでいました。その中に足を勢いよく滑り込ませます。
「つンめたヒ!」
――これだ。
わたしが長い間忘れていたのは、くるぶしがキンとなっても気にしない心だったのです。
人はなぜくるぶしを温めるのか
大人になったわたしがくるキン(くるぶしがキンとなること)を避けるようになった理由を考えてみました。
・くるキンは靴濡れを伴う
くるキンが起こるとき、多くの場合靴が濡れています。靴が濡れるとむしろ魂がよくない感じになるので、ぜひとも避けたいところです。
・くるキンは万病のもと
風邪をひかない秘訣として、頭寒足熱ということばがあります。頭は冷やし、足は暖かくしていなければいけません。つまりくるキンは風邪のもとなのです。
また、風邪が万病のもとであることは周知の事実ですから、
くるキン = 風邪のもと
風邪 = 万病のもと
これをなんやかんやすることで、
くるキン = 万病のもとのもと
≒ 万病のもと
という近似的法則が成り立つのです。
異論は認めません。
くるぶしをキンとさせて心を取り戻そう
つまり、靴が濡れたり万病にかかって惨たらしく死んだりせず、くるぶしをキンとさせることができれば、わたしはあの時の心を取り戻すことができるのではないでしょうか。
突然のお目汚し失礼します。保津です。
というわけで今回は手元に保冷剤を用意しましたので、これを使って青春をもう一度体験してみたいと思います。
それではくるぶしをキンとさせてみましょう。
足首あたりのでっぱっているところ。親指側は脛骨、小指側は腓骨の部分。
――Wikipedia「くるぶし」より
失われた心はもう戻らないのか
人は大人になるかわりに、大切なものをひとつ失うといいます。きっとわたしの場合はくるぶしだったのでしょう。 確かにあの頃のわたしにとって、くるぶしは宝物でした。くるぶしがキンとなるたびに、わたしは生を実感していたのです。
くるぶし = 大切なもの
わたしのくるぶしはもう戻ってこないのでしょうか。子供の心を取り戻すことは不可能なのでしょうか。
しかしわたしはあきらめません。いずれくるぶしとまた会えることを夢見て、これからも生き続けます。
人生とは、くるぶしを探す旅なのです。
人生 = くるぶしを探す旅
もしもあなたが大切なものに気付いているのなら、それを大切にしてください。
∴ 人生 = 大切なものを探す旅
ご清聴ありがとうございました。さようなら。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?