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NF型同士のコミュニケーション【メルヘン注意】

私には恩師と慕っている人物がいて、それは中学時代に通っていた塾の講師だったりする。
その先生は日本人とは思えないくらい彫りの深い顔立ちで、長い顎髭を蓄えていた。そして異様に目がキラキラしていた。
というか、元アルカイダ指導者のオサマ・ビン・ラディンにそっくりだった。彼を小柄にすれば先生そのものである。純日本人なのに中東系のお顔立ちだったのだ。

私が先生の個人塾に通うようになったのは中二になってからだった。その頃の私は部活にかまけるあまり、成績が落ちていたのだ。国語以外はどれも酷い点数しか取れず、このままだとうんと遠くにあるおバカ高校に入ることになると親に怒られ、仕方なく塾に通うことになったのだ。
成績なんてどうでもいいのに~と嫌々教室の扉を開けたら、イスラム戦士にしか見えない先生がこちらを見つめていた。帰ろうかと思った。

初日は数学の授業だったのだが、その時の私は「自分が何をわからないのかすらわからない」という状態であった。つまり末期だ。数式をいくら眺めても呪文にしか見えない。あまりの惨めさにしょんぼりしていると、先生はツカツカと歩み寄ってきて声をかけてきた。

「どこがわからないんだい?」

私は素直に、全部わかりませんと答えた。
すると先生は「わはは!」と大声で笑い、「正直でよろしい」と微笑んだ。

「自分が未熟だと感じ取れるだけでも見込みがあるんだよ。だから君は大丈夫だよ」

確かこんなことを言われたはずである。
この先生は悪い人じゃないのかもしれない、と思った瞬間だった。
やがて先生は授業を脱線して何か冗談を言って生徒達の笑いを誘い、明るい雰囲気のままその日は解散となった。
今まで見たことのないくらい話の上手い人であった。

どうやら予想してたより塾は怖い場所じゃないらしい。これなら大丈夫かもなぁ、と安堵しながら通い続け、私の成績はほんの少しだけ上昇した。
とはいえ「国語以外は手の施しようがないアホ」から「国語と英語以外は手の施しようがないアホ」に改善された程度である。
当時の私は数学に苦戦していた。完全に食わず嫌いしていた。興味が無さ過ぎて理解を諦めていたのだ。私と数学は音楽性の違いで解散したのである。

そんなある日、塾で小テストが行われることとなった。科目は英語だった気がする。
私の隣の席にはT君という坊主頭の男子が座っていた。彼は運動も勉強もダメダメだが底抜けの善人であった。先生も彼のことは可愛がっていたように思う。
T君はその日のテストでズタボロの点数を取ったらしく、先生は頭を抱えていた。

「お前な~~。この回答はなんなんだよ~~~!」

俺の授業ちゃんと聞いてんのかぁ? もう皆に見てもらえ! と先生は笑いながらT君の答案用紙を掲げた。先生とT君は信頼関係が出来上がっているので一種のじゃれ合いだったのだろうが、当時の私は多感でピュアな中学生だ。

同じ教室で学ぶ仲間が恥をかかされようとしている、絶対に見るもんか!

と妙な意地を張り、目を閉じて答案用紙を見ないようにした。
T君がどんな間抜けな回答をしたかは知らないが、せめて私だけでも彼の失態を見ないようにしてあげようと思ったのだ。なんならちょっと先生に対してムッとしていたのも覚えている。酷い、こんなことをする人だなんて思わなかった! と。

先生は一人だけ目をつむって顔を逸らす私に気付くと、「どうしたんだい?」とたずねてきた。
私はおそるおそる「人として見るべきではないと思ったからです」と答えた。
が、すぐに後悔した。
しまった、いくらなんでも綺麗事すぎる。ちょっと浮いた発言かもなぁ……と内心焦っていると、先生は「こりゃ一本取られた」と大笑いし、

「おい皆聞いたか! お前らも目を閉じてやればよかっただろう! Tと仲いいんだろうが! まったく!」

と他の生徒を叱りつけた。
私がきょとんとしていると、先生は「そうだよなあ。いくら成績が良くっても、友達を大事にしないようじゃダメだもんなあ」と上機嫌で褒めてくれた。
実は私もその日のテストは微妙な点数だったのだけど、

「いいんだいいんだ、君は勉強なんかより大事なことがわかってる」

と一日中褒めてくれた。
塾講師としてそれはいいのかと思うかもしれないが、この時の私はジーンとしていた。

テストの点数よりも、友達を大事にしたことを褒めるの?
この先生はちゃんと人の心がある……!

という感じに。
(ここからNF型特有のメルヘン理想主義ワールドが始まります)
どうもこのあたりから私と先生は互いに「この人は信用できる!」と心が通じ合ったようで、阿吽の呼吸で話ができるようになったのだ。
同じ塾に通っていた友人が言うには、「毎日二人してキラキラした目で見つめ合いながら授業をこなしてた」そうである。

おめめキラキラモードに入った私はすっかり心を入れ替え、真剣に先生の話に耳を傾けるようになった。
するとどういう原理なのか、苦手だったはずの数学の点数がメキメキ上がり始めたのだ。先生の授業はかなり脱線気味で、精神論や道徳を唱えることが多かったのだが、どうも私にはそのやり方が良かったらしい。
先生は新しい公式の解き方を教え、その後は人生論を語る。私は「はい! 家族を見捨てるくらいなら死んだ方がいいです!」みたいなことを言いながら問題を解く。そしたら沁み込むように抽象的な数式が理解できるようになる。
クラスメイトには「なぜあの塾で成績が伸びるのか意味が分からない。変な授業しかしないんでしょ?」とかなり不思議がられていた記憶がある。
いや、理屈じゃないんだよ。ハートなんだよ。人として尊敬できる人物からの教えならスラスラ頭に入るし、あとは愛や友情や善悪について語っていれば勝手に問題が解けるんだってば。

それからしばらくして、私はついに数学のテストで100点を取れるようになるところまで上り詰めていた。作り話のようだが全部本当である。

では成績が上がった私はどんな心境だったかというと、罪の意識を抱えていた。

私はこの塾に通う前は全然数学ができなかった。たまたま良い先生と会えたから成績が伸びただけだ。塾の先生は学校よりずっと教え方が上手い。こうなると学力なんてのは、親が塾の費用を出してくれるかどうかが全てじゃないか。これじゃ貧しい家の子供達が可哀想だ。そういう家の子だってお金さえあれば上に行けるかもしれないのに……。

と、こういう理屈だ。
あまりに気に病んだせいで授業中も元気がなくなり、塾にいる間も俯きがちになっていた。
見かねた先生が「何を悩んでるんだい?」と声をかけてきたため、私は上記の苦悩を打ち明けてみた(受験を控えている時期にこんなお悩み相談をしていたのである)。

先生は顎髭を撫でると、

「俺も本当は金なんか取らずに物を教えたい。全ての子供達が良い教育を受けるべきだ。塾なんかない方がいいんだ」

と自分の職業を否定するような理想論を口にした。
私も頭の中に理想論しか詰まってないので、真剣に「どうすればそういう世の中になるんですか?」とたずねた。

(受験が目前に迫っている時期の塾での会話です)

先生は「君が塾に通えない子達に教えてあげればいいんじゃないか? それだけでも少しずつ世の中が変わっていくと思うぞ」とかそんなことを言って私を慰めてくれた。
やがてどういう話の流れになったのか、

「教育で金を取る俺はダメだ! 俺なんかよりトイレ掃除とかゴミ収集とか、そういう仕事をしてる人達の方が偉いんだ。皆が嫌がることをやってくれている人達に感謝しなきゃダメなんだ!」

と、やはり受験と全く関係ない理想論を唱えてきたのを覚えている。
私は「はい、その通りです!」と言ってるうちに元気を取り戻し、志望校には普通に合格した。
恩師としか言いようがない。

あれからもう何年も経ったが先生の授業の楽しさは今でも覚えており、今でも思い返すことがある。
先生の日頃の言動から察するに、おそらくMBTIのタイプはENFJかINFJあたりではないかと睨んでいる。私と異様に波長が合ったので同じNF型なのはまず間違いないだろう。

実社会に出てからはあのレベルの理想主義者と出会うことはまずないため、今でも彼との会話を懐かしむことがある。
たぶん他のタイプからすると「正気のやり取りなのか?」と感じるかもしれないが、頭の中がお花畑なNF型同士のコミュニケーションはこんな感じなんです。ほんとに。


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