#12 看取り士になりたいわけ
助産師のHiroです。
今日は息子ひろーりのnoteを読んで感じたことを書こうと思います。
物心ついた頃から私は「死について」「命について」考える子どもだった。
両親が熱心な宗教家であり宗教2世として育ったこと、仏教の思想について親と語り合ったり、書物を読んだりしていたことも大きく影響していると感じている。
それと同時に、家の目の前に里山がある田舎の町で育ち、自然の中で生きてきたということ。雨が多い地域で、9月になると何度も台風がやってくる。停電して蝋燭の心もとない薄明かりの中、雨風が激しく吹き荒れる嵐の夜に、自然の前で人間はなんてちっぽけなんだと思ったことも関係しているのかもしれない。
若い頃に山師をしていた父は、私たち子どもを飼っていた紀州犬の散歩によく連れ出してくれた。
近所にある獣道しかない里山の奥深くに入り込み、背丈ほどもあるシダに囲まれながら道なき道を歩く。木々からたちこめる湿った冷たい空気を感じながら、まるで音が吸い込まれてしまうような森の中で、文明とは切り離された世界があることを教えられた。
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んだ時、思い浮かんだのは幼い日に父と兄弟と愛犬と歩いた里山の記憶だった。
父は幼い私の「センス・オブ・ワンダー」を大切に磨いてくれた人。
私はその頃から、自分の命が自然界のたくさんの命と繋がっていること、自分という存在は地球や宇宙という大きな生命体にとって小さな細胞のようなものだということを感じていたのだと思う。生と死が切り離されたものでなくつながっているということも。
先日息子がアップしたnote。
息子もまた幼い頃から命について考える子どもだった。
私が助産師になるための看護学生だった頃、小学4年の息子が夜の暗闇の中で「死ぬのが怖い」としくしく泣いていた。息子のnoteを読んだら、震える息子を抱きしめて過ごした夜のことが昨日のことのように蘇ってきた。
自分も同じくらいの頃死ぬのが怖かったこと、自分は手塚治虫の「火の鳥」「ブッダ」を読んで死への恐怖が薄らいだこと。息子の気持ちを受け止め、話をしながら私も自分の死生観を見つめ直した。
看護学生として死生学を学び、ホスピス医の山崎章郎の「病院で死ぬということ」や、ホスピスの生みの親であるキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」を読んだ。死と向き合うには段階があること、そのためには死の現場をよく知る専門家のサポートが必要なことを感じた。助産師としてだけでなく、看護師としても、命の始まりと終わりのその両方でケアをする人になる。息子に自分の医療者としての決意もその頃に語った気がする。
死は誰にとっても未知なものであり、だから怖さを感じるもの。
息子の noteのように死の直前には自分の当たり前がどんどん失われる喪失体験や身体の痛みや呼吸の苦しさなどの苦痛があることが多いから。
誰だって大切なものを失うのは怖いし、苦しみを味わうのなんて嫌だ。
自分に死が近づいていることがわかった時、
死は簡単に受け入れられるものではなく、キュブラー・ロスによれば「否認・怒り・取引・抑うつ・受容」という五つのプロセスを経験すると言われている。
折に触れて親子で命について、死について語り合い、その都度息子の生命観の変化を感じてきた。中学生になって哲学や倫理学に興味をもった息子は、死が怖くなくなったと話すようになった。私たちの語らいの力によって、息子の死への恐怖がなくなり、想像上とはいえ「死」が受容された。
私にとってそれは大きな出来事だった。
リアルな死に直面する病院において、死への恐怖に苦しむ人と語らうことは、その人に安らぎをもたらし「死の受容」をサポートする力になる、そう信じられるきっかけとなった。
多くの人たちの死の瞬間に立ち会い、死の淵で苦しむ人を前に何もできない自分に無力感をおぼえたり、患者を取り巻く複雑な人間関係の中で死にゆく人の尊厳が守られていないと悲しくなったり。葛藤を抱えて看取りのケアをする中で、息子と語らうことは私にとっての癒しでもあった。
コロナ禍、多くの自由が制限される中で「夜と霧」「それでも人生にイエスという」を息子と一緒に読んだ。ユダヤ人としてホロコーストを受けナチスの捕虜収容所での日々を記録に残した精神科医ヴィクトール・フランクル。フランクルが自分や捕虜たちの「生と死」と向き合い、紡ぎ出した文章はどこを切り取っても心に迫るものがあった。人としてどう生きるかという人生の羅針盤を見つけたと思った。
私はこの先、助産師として地域で開業したいと思っている。でもそれだけでなく、看取り士としても生きていきたい。
自分が死の間際に、フランクルのようにどんな人生であってもイエスと言えるように、そしてすべての人が自分の人生にイエスと言えるように、死の恐怖と向き合うサポートをしたい。
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