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#13 【読書感想文】ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」を読んで

こんばんは。助産師のHiroです。
今日は息子に勧められたひぐちアサの漫画「ヤサシイワタシ」を読んだ感想文を書こうと思います。息子のnoteへのアンサーnote。ネタバレ注意⚠️

生きづらさを抱えている息子、大学をさぼり気味でダメな自分が嫌になる、そんな気持ちを素直に私に話してくれた。その話の中で、ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」を読んだら、刺さり過ぎたと私に勧めてくれた。
息子の話を聞いていると、ダメさ加減も、考えていることも、まるで大学生の頃の自分を見ているような気分になる。

「ヤサシイワタシ」は私立大学の写真部を舞台にした青春漫画。発達障害ぽくて自由奔放な弥恵と、写真部の後輩である主人公芹生を中心に、写真部の人間模様を描いた漫画。状況設定がこじらせ大学生だった自分とシンクロしすぎて弥恵が他人とは思えなくて、自分の大学時代の友人たちを思い浮かべながら最後まで一気読みしてしまった。

大学時代、日常生活を普通にこなすことができなくて、1回生の頃は朝起きれずに授業に出られなかった。両親は苦労して私を大学に通わせてくれているのに、なんで私はこんなにダメな人間なんだろうってずっと思っていた。
大学生活に慣れたころに彼氏ができた。
その頃から少しずつ大学にも通えるようにはなったけれど、やっぱり朝起きられないことも課題が出せないこともあるし、短期のアルバイトをドタキャンしたり。そんな私と違って、彼氏はちゃんと大学に行って、カテキョーのバイトもこなして。一緒にいると、自分が当たり前のことが当たり前にできない、そのことに気づかされた。
私は毎日でも会いたいって思うのに、彼は自分の感情にのみこまれることはなくて、テストだから会えないと普通に断られる。私は彼との時間以外、全部ぐちゃぐちゃになるくらい好きって思うのに埋まらない温度差があって、バランスを取るために男友だちと飲みに行ったりしてた。
一緒に北海道にバックパック旅行に出かけたり、ケンカなんてほとんどすることはなくて、楽しい思い出はいっぱいあるけど、今思い出すとあの時私は満たされなくてさみしかったんだと思う。

悶々としていた大学3回生の頃、バイト代をためてカメラを買った。
友だちとミニコミ誌を自主制作することになり、他大学の写真部の友だちから現像を教えてもらい、自宅に暗室を作るまでにのめりこんだ。
カメラから覗く日常は、私がこれまで見ていた風景とはまるで違って見えた。自分が切り取った日常が、暗闇の中で白い印画紙の上に浮かび上がってくる。京都のひっそりとした路地で見つけた街角の床屋のウィッグを被ったマネキンのシュールな様子とか、道端で出会った小学生の男の子の飛び切りの笑顔とか、写真を焼くたびに自分が生きていた瞬間がキラキラ輝いていたことに気づかされて、旅をするように新鮮に毎日を送れるような気がした。その思いのままに小説や詩を書いて、表現することで生きてるって実感できるようになった。

ミニコミ誌の活動をするようになり、出版社で就職したいと思うようになった。マスコミ塾に通い、エントリーシートをいくつも書いて応募するけど、無名私立大学の私は書類選考がまったく通らない。一緒に活動している有名大学の友だちは、大手出版社や新聞社にエントリーしてどんどん面接を受けに行っているのに。下請けの下請けみたいな編集プロダクションですら門前払いで、不採用通知を見るたびに自分は価値のない人間なんだって言われているような気分になった。

「ヤサシイワタシ」を読んでいると、あの頃の感情がフラッシュバックして苦しくなる。自分が抱えている生きづらさも、弥恵の倫理観の欠如みたいなのも、程度が違うだけで全部シンクロする。それは結局20代の私だけじゃなくて、40代になった今も抱え続けて生きている。息子は弥恵に共感できると同時にイライラするって言ってるけど、私はシンクロしすぎてただただ苦しくなる。物語の終盤で、弥恵は主人公芹生と話したあと自殺をしてしまう。そっか、そうなのかー。そしてもっと苦しくなった。

別れた後芹生がやり直そうと言った弥恵に伝えたセリフ。「ほめてもらうためとか しかってもらうためじゃなくて あなたの やりたいこと ちゃんと考えてよ 考えられるよ」
家庭環境が複雑だったり、DVを受けた元カレに未練があったり。そんな弥恵を、芹生は誰かに評価してもらうために写真を撮ったり、誰かにかまってほしくて色んな問題行動を起こしていると感じている。何をやっても誰といても満たされない、そんな弥恵の辛さが生々しく迫ってくる。

この場面を読んで、私は就職活動がうまくいかなくて悩んでた時に、実家に帰省して父と泣きながら話した日の事を思い出した。
文章を書く仕事がしたくて東京に行きたいと思っていること、いっぱい出版社を受けているのに1つも書類審査すら通らないこと、何をやってもうまくいかないこと。しゃくりあげて泣きながら話すのを、父は何も言わずにずっとうなずきながら聞いてくれて、最後に「どれだけ落ちてもそんなことでは(私の価値は)何も変わらない。Hiroはそのままがいい、そこに自分で気づくしかない」と話した。
わたしは父にその言葉を言ってもらって、わたしを満たせるのは自分しかないことがわかった。誰かでは決して満たせない。わたしのコップに愛を注げるのはわたしだけ。
「いまはわからなくても、どうするのがいいか自然にみつかるから」と父に言われて、私は最終的に地元の小さな新聞社に就職することになった。
それは私にとって、今振り返ってみると「なりたいわたし」になることを捨てて、「ありのままのわたし」として生きるという選択だった気がする。

「死にたいんじゃなくて、願う姿で生きたかったんだろ」
「願いって かなわなかったらダメなのかな?」

「ヤサシイワタシ」2巻より

弥恵の自殺について、主人公の芹生が言った言葉。
漫画のタイトル「ヤサシイワタシ」
「ありのままのわたし」を受け止める、認める、愛するって難しい。
発達障害で普通の人が当たり前にできることができなかったり、家庭環境が複雑で無償の愛、無条件の愛を知らない人にとっては、なおさらだと思う。
生きづらさを抱えて生きるって大変だ。生きることと、死ぬことは紙一重で、生きることはものすごいバランスの上に成り立っているんだと思う。

わたしが「ありのままのわたし」を受け止められるようになったのは、私に無条件の愛を与えてくれた父がいたから。
そして息子が生まれてきてくれたからだと思う。
息子が生後4ヶ月で職場に復帰した。仕事と家事育児がうまくこなせなくて、ぐちゃぐちゃの部屋で泣きそうになって、ダメな自分に嫌になって、産後うつで死にたい気分になる人の気持ちがわかると思うこともあった。
それでも幼い息子はそんなことを全く気にせずに、全身で愛を表現しながら笑顔で私の所に駆け寄ってきてくれた。息子を抱きしめてぬくもりを感じることができたから、わたしはちゃんと愛されてるって感じたから、「ありのままのわたし」で、今生きているんだと思う。

改めて思う、息子は私への人生からのギフトだって。ただそこにいてくれるだけで、私に生きる力を与えてくれる。
生きてるだけで百点満点。
生まれてきてくれてありがとう。


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