5-24 君はまだ何も知らない

俺は精神的に病んだとき、基本的にある程度遠い関係の人間に話を聞いてもらいがちである。その話自体から遠い人間か、距離が遠い人間か、関係性が遠い人間か、どれでもいいんだけど。なぜなら、ある程度遠い人間の方が俺に興味がないので適当に聞き流してくれるし、もしその人に話を聞いてもらえなかったとしても他の人間に当たればいい。

てかそもそもさ、俺たちって近い人間に対して悩みを抱くじゃんか。そりゃあ無理だって。依存なんてできないよ。

って思うんですけど、皆、近い人間には頼られたいと思うんですね。一緒に暮らしていくのならやっぱり苦しさの共有は必要なんでしょうか。親しき仲にもなんたらっていう言葉はそこまで好きじゃないんですが、それでもよい関係でいるためには程よい距離感でいる必要があるんじゃないんですか。そんなことないんですか。

違うのかな、俺が、中身を見られるのに恐怖してるだけなのかな。すごく変わっていると思われることに、そしてよくある人間性だと思われることに。

受け止めてくれるならいいんですけど。絶対的な愛がそこにあればいいんですけど。苦しんでいるときに僕が我慢しなくてはいけないような対応をされない確証が持てればいいんですけど。そんなことは、ないじゃないですか。

僕を助ける方法は存在するけれど、それを君は知らない。

僕だって、君に救ってくれだなんて頼んだ覚えはない。

今日の言葉… なぜそこまではっきりさせる必要がある?「かもしれない」がどんなに助けになることか。

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