5-22 チェーンとの確執

本当は5月23日の内容なんですが、22日は労働尽くしのため、特に何も書くことがないので、こちらに書きます。

友人から「自己評価の低さ」についての話が出た。本人は「俺は勉強していない人間だから、このくらいまでならたどり着けると思っている」と言っていたんだけど、俺からしたら十分知識もあると思うし、考え方も論理的だと思う。シンプルに賢いと思うんです。

俺は他人からの評価と自己評価は分けて考えていて、確かに俺はある一定の基準よりは高い側面はあるし、そもそもそうなるような環境を自分で作っていたので、他人からの評価は高めだったと思うし、実際高かった。けど、周りに優れた人はたくさんいたし、加えて俺の中の天使ちゃんが「お前の人生、チョコレートみたいに甘いね~」とさんざん罵ってきたので、結構自己評価は低い。俺は調子に乗りがち人間なので、自己評価を低くしないとチョコレートみたいにドロドロに周りに溶け込んじゃって、ぱっと見だとクソみたいに思われちゃうと思います。全然今でもクソなんですけど。だから、自己評価と他己評価は違うものだと認識して、どちらも受け入れることが自分を本質的に見ることにつながるんじゃないのかなあなんて。「矛盾」を抱えて生きてくなんてって言われそうですが、その「矛盾」を抱えていることこそが弁証法的なんでしたっけ?意味わかんねえよ、クソ。

本人にはよく「お前は賢いだろ!」と言っているけれど、認めれないものは認めれないよね~。とも思っている。俺はそう。基本は「こいつの話には聞く価値がある」と思えた人間からの話ならある程度入ってくるんですが、それでも、それでもねえ。自分のポリシーとか、ずっと抱えているものとか、そういう譲れないものっていうのはゆっくり解いていかないと解けませんからね。解くっていう表現だとよく糸なんかが使われますけど、俺はネックレスの表現が一番しっくりきます。あいつら急いでる時ほど解けてくれないのは何なんですか。ただでさえ不器用なんだからさぁ!!!!!つまり、そゆこと。

俺の場合、自分の中の肩凝りよりも凝り固まった考えに気づいてしまったときは「そんなもん捨て去っちまえ」って俺の心の中の三木さんが言ってくるので、どうにか解こうと画策するんですが、まあ簡単にほどけるものでもないし、角質と一緒でゆっくり丁寧に時間をかけて和らげていかなきゃいけない。これは俺が美容部員をやっているからこその表現でもあります。こんな俺が美容部員なの、いまだに信じられません。

というか、まあ、他人にはそんな手放しに言えないんですよね。簡単じゃないのもわかっているし。そういう譲れない部分があるっていうところもある種その人間の好きな部分でもあるわけで。難しいですね。

あとは他人に期待してしまうことでしたっけ。僕他人に期待も失望もしないんでわからないんですけど、っていうか前にも言ったかな。「俺が苦しむのは自分のことだけ」って。期待も失望もするほど興味がないというか、シンプルに失礼っていうのもあるし、っていうか他人って未知の生物じゃないですか。だからこそ、個々人を、個々人として見つめてあげることこそが理想だと思うんです。自己の投影も本当はあってはならないと思っていて、俺は全然しちゃうんだけど、せめて期待はしないようにしているつもりでいる。信頼も基本していない。信頼しているのは俺の分析だけだし俺の目だけ。だから、間違っているのはいつだって俺。そこから分析して俺自身を修復して、目を養うことだけに努めているつもりです。ここだけ見るとすごくストイックですね。中学の時からこのスタイルは継続中。

でも、正しいかどうかはわかりません。それが俺の人生です。
そして、何を選択するかは、お前次第。それがお前の人生です。

今日の言葉… そういえば松屋って一回も行ったことないんですよね、というところで回収しておきます。

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