日曜美のミーティング。
「note、60日更新してるんだよ。」
「へえ!すごいね。」
夫と妻の日曜日の会話。noteを書いていることは夫に報告していたが、ここまで続くとは思っていなかった様子。
noteクリエーター様の中には、ご夫婦やご家族さまで協力して更新されている方も多くお見かけする。我が家はもっぱら妻の趣味で、夫はノータッチ。何書いてるの?とも特に聞かれない。その代わり、好き勝手にのびのびとやらせてもらっている。
「毎日更新にこだわっているわけじゃない。だけど止まらないんだよね、、。やめた方がいいのかなあ。」
「続けた方がいいよ。」
「え??」
興味なさそうな夫が、携帯をつつきながら、そう言った。
おぬし、聞いておったのか。
夫は続けた。
「だって、楽しいんでしょ?」
「そう!ただ楽しい。書きたいことが毎日いっぱい浮かぶから、一日ひとつずつでも記事にしていかないと、行き詰まりみたいになるというか。」
話しながら気付く。そうだ。楽しいのだ。ただ、純粋に、単純に、好きなのだ。書きたい、ただそれだけ。毎日食べる、運動するみたいに、noteする。
「曲をつくり続ける人も同じなんじゃない?もう新曲を出さなくても食べていけるのに、つくり続けている。」
「 !!! 」
私が小学生の頃から大好きだった歌手のお方。確かに、まだ作詞作曲をされて活動を続けておられる。もう名曲をこの世にうんと残されているのに、まだ新たにつくり続けておられる。どうしてなのだろう、、と思っていた。
ああ、そう言うことなのかも、と、すとんと腑に落ちた。
かの有名なお方を例に出して、私の自由すぎるnoteを分析するのは大変お粗末な話。恐縮する気持ちを全面に、ほんの少しだけ、、続けることへの美徳を味わったような気がした。
「共通のこと、⚪︎⚪︎さんと分かち合えたらいいのにな、、ってずっと思ってたんだよね。結婚する前から。」
しまった。謎が解けた高揚感で、余計なことを口走った。
夫の方をチラリと見る。
「僕はそう思わないかな。」
「そうなの?」
「自分と同じ人間だったら、生活が成り立たないから。」
夫は夢を見なければ、ロマンも抱かない。いつも正論で合理的で、効率的で。私とは、真逆と言ってもいいような種族の人間。
夫のような人間がもうひとり居て、ふたりが夫婦だったら、、恐らく生活は無事だと思う。安泰、とすら思う。だけど、人間らしさは欠けるかもしれない。夢とロマンは、ずっとお預けかも。
私のような人間がもうひとり居て、ふたりが夫婦だったら、、恐ろしいと思う。夢とロマンだらけ。地球にいないのでは、、。それはそれでいいのかも。その代わり、現実的な生活とはかけ離れるかもしれない。夢とロマンよりも、新鮮な空気と水の方が、私にはずっと、必要。
「それ、きっと私のセリフ。」
わはは、と笑い合って。ああ、幸せだなあと思った。
過去、ふたりの”共通点”のなさに、どこか寂しさを感じていた。生活習慣やライフスタイルの違いが拍車をかけて、苛立ちへと変化することもあった。
けれど、今はそれがありがたい、とすら思う。
自由にほっといてくれる。
好きにどこかへいける。
結婚という枠に縛られず、「あなた」と「わたし」がそれぞれ居る。ふたりがひとつにならない。ふたりはふたりのまま。
それが、良い。私はそれを望む。
日曜日、ふたりの休日。
「あなた」と「わたし」の時間。
夫は『ザ!鉄腕!DASH!!』を観て、
妻は『日曜美術館』を観る。
一緒に観ることはしない。
それが、良いから。
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