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休むのにも勇気がいる、らしい。

どちらかというと、何かをコツコツ続けていくのは得意な方、と思う。

もちろん、好きなことや興味があることに限る。どっぷり浸かりすぎて首が回らないとならぬよう、嗜むように時を重ねる。そうすれば、あら続いていたのね、ということが多い。

「目標」や「ゴール」をあえて設けない。日々淡々とこなすだけ。息を吸うように、歯を磨くように、今日の服を選ぶように、目の前のことと向き合う、ただそれだけ。



先週末、noteをお休みした。
それなりに毎日投稿ができていて、自分のペースも掴めてきた。良い調子だった、のだろう。
けれど、少しずつ義務化していくことに危機感を覚え始めてもいた。

過去に触れる記事を書いてどっと疲れて、天気は雨で、月経も重なって。ああ、これはダメだ、となった。

パソコンに向かうこともできたけど、向かわなかった。
書き出せば、気持ちが乗ってくるかもしれないが、書き出さなかった。

いい機会かもしれない。
いろいろ言い訳にして休んじゃおうと。



決して、誰かに強制されているわけではない。自ら進んで好きなように書いているだけ。だが、なんでも続けていると、「休む」タイミングを見失う。

今日は休もう、今日はつぶやきにしよう、と事前に決めていたのに、いつものリズムで頭をぐるぐるさせて、書かずにはいられなくなってしまう。

書けば、爽快。
書かなくは、不快、とはならない。

それなのに、書いてしまう。これが習慣化の良いところで、厄介なところだったりする。



「休む」ことが得意でない。

昔から体が丈夫で休む理由がなくここまできた。
大人になって、たまに体調を崩すことはあっても、寝込んだりするほどのことでもなく。

会社員の頃、ちょっと疲れたなと思っても、気安く有休を使えなかった。休んでいる間に、自分の仕事が動いたら、忙しい誰かの足を引張ったらと思うと、どうもその権利が無意味なような気がしてならなかった。


それに、「休まない方が楽」というのもある。

一度でも休んでしまうと、また次にエンジンをかけるのに手間がかかる。そこに、エネルギーを使うのもなあと。

そう思っていた。



それなりに歳を重ねて、わかったこと。

ちょっとくらい休んだって、何も変わりはしない。

「休む」のが苦手とかいって、心ここに在らずでのらりくらりしてる方がよっぽど効率が悪い。

休んでいる間に、勝手に物事は進む。
(そうでないことも、もちろんあるが。)

それなら、えいや!と休んでしまう。
その選択を、してみたい。



休んだあと。

習慣化できるのはわかった。
じゃあ、次のステップは?


これは、人によって答えはが異なるのだろう。

そのまま続けると答える人もいるだろうし、他のことにチャレンジしてみる、いろんな組み合わせを試行錯誤する人もいると思う。


私はどうだろうか。

そのまま続けてもいい、のだけど。

もっとやってみたいことがある。それらを挑戦しながら、今の生活を継続する。そうすれば、今ある習慣がより意味のあるものになりそう。

「目標」とか「ゴール」とかをつくるのが好きではない。条件ありきでは、どこか物質的な感じがするから。
それに、これから変わっていくものだから、事細かく決めない。自分にルールを課さない。



習慣化の先。ときには休んで、続ける。
これが簡単なようで、意外と難しい。

ぼちぼち自分に挑みながら、寝る。食べる。ぼーっとする。床と一体化する。廃人化してみる。
とにかく生活する。


そんなことする意味ある?とも思う。

けれど、続けていく中で、立ち止まって、全然違うことをして、思考を停止させて、そこに新たな閃きがあったりする。その輝きこそ、休むことの醍醐味なのだと。



色々思うことはあるけれど、結局は

そんな人間ぽい人間に、私は憧れている。

ただそれだけのこと、かもしれない。



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