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3.11 東日本大震災から13年..忘れないよ。

13年前の、3月11日 14時46分。


大好きな友人とふたりでカラオケ屋にいた。

当時、高校3年生。
受験を無事に終え、最後の春休みを満喫していたのだと思う。歌を少々挟みつつ、懐かしい話やこれから始まる大学生活の話に花を咲かせていた。

「今、ちょっと揺れた?」

「え、そうかな?」


微かに感じる振動。気のせいかとも思えるような揺れで、私たちはすぐに話に戻った。

「実は、私⚪︎⚪︎くんに告白したんだけど、ダメだったんだよね。」

「え!聞いてないよ。」

友人いずみ(仮)から衝撃の告白を受けた。私たちは、互いに友達が多い方ではあったが、その中でも特に仲が良くて、ふたりでよく遊んでいた。なのに、私はいずみの大事な想いをまるっきり知らなかったのだ。


「辛かったよね。教えてくれたらよかったのに。」

「だって、聞いてくれなかったじゃん。」

過去に「好きな人いるの?」と、どことなく聞いたことはあったけれど、具体的な返事はなく、「いずみは秘密主義だからな〜」と会話したことはあった。けれど、それが”聞いた”うちに入っていなかったとは思っておらず、びっくりして腰を抜かしてしまった。


いずみは学校一、”聞き上手”な女子だった。その証に、彼女の周りにはいつも友人がいたし、なかなか遊びのアポイントが取れないくらい、人気者だった。

”聞き上手”に甘えて、ついつい自分の話ばかりしてしまっていたのだな、と少し反省をした。


「気づかずにごめんね。」

「大丈夫。また遊ぼ!」

いずみは全く気にしていないようだった。
けれど、それが、本心なのか、私にはわからなかった。



家に帰宅すると、あの揺れは、気のせいでなかったと知る。
とんでもないことが起きたのだと、衝撃的な映像を観て、足がすくんだ。

翌朝の新聞では、今まで見たことのない死者・行方不明者の数に、愕然としたことを覚えている。

きっと、この死者・行方不明者の中には、これから大学生になる予定の方もいたであろう。
楽しみにしていたのだろうなと思うと、生きている私は、何食わぬ顔で新生活を迎えていいのだろうかと、罪悪感のようなもので、頭と心が一杯になった。


”私にできることって、なんだろう。”


その日から、ずっと悶々と考えていた。




数日後、いずみにメールをした。
あの日、別れ際に「大丈夫。」と言っていたのが気になって。

「いずみの好きな人のこと、気づいてあげられなくてごめんね。」


すぐに返信が来た。

「誰にも言いたくなかったから、そっとしといてくれてありがとう。辛かったねと言ってくれて嬉しかった。」


何も触れずにいたことが、彼女にとって有り難かったとは知らず、そういう優しさのあり方もあるのだな、と知った。

同時に、”言葉は嘘をつく。”ということを学んだ。
おそらく、彼女はまだ「大丈夫。」ではなかったから。


「今暇なら、電話しよう」と彼女は言った。

「いいよ!」

私たちは、何でもないような、他愛もないような話をして、いつも通り、笑って時間を過ごした。

「何か話したいことがあるんじゃない?」と聞いたが、

彼女は「何もないよ。」と言った。


それが、本心なのか、私にはわからなかった。
けれど、この電話が傷を癒すひとつだとしたら、私は彼女を全力で笑わせたい、そう思った。



震災で被害に遭われた方にお会いしたら、なんとお声をかけたら良いのだろうか。

「大丈夫でしたか?」

なんて、とてもじゃないけれど言えない。


できることなら、何かをしたい、と思う。

けれど、良かれと思ってしたことが、余計に相手を苦しめることになるのなら、経験をしていない自分は、そんなこと容易にはできない。


もしも、相手が何かを求めていたとしたら、

「大変だったね。」

と、声をかけたいと思う。

話したければ、相手からゆっくりでも話してくれると思うし、
話したくなければ、そこで会話が終わるだろうから。


できることは、したい。
他人事とは思いたくない。

この気持ちだけは、忘れずに持ち続けたい。




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