放浪癖は、治らない。
いくつもの場所に住んだ。
何度も移動を繰り返した。
引越しと呼ぶ大それたものから、スーツケースひとつで放浪するような、小さなものまで。
意図して移動することもあるが、たいていは人生のターニングポイントだったり、生活拠点の変更だったり。
人生に変化は付きもの、だから。
移動を続けていると、
世界がまるで小さくなったように感じる。
ざっと街を見渡せるような錯覚に陥る。ものさしの幅がぐんと伸びて、遠方と呼べる距離がとおくなる。
「そんな遠くない場所だから、今から行こうか」とか、「一度行ったことがある場所だから大体地図は頭に入ってる」と自分を信用できるようになる。
野生の勘が研ぎ澄まされる、というか。
放浪しがちな人生は、私のライフスタイルに合っていた。
おそらく私は、HSS型HSP(社交的で刺激を求めるのに傷つきやすい)気質の人間で、とことん刺激に貪欲だ。同じ街に住み続けたり、同じ仕事を続けたり、同じコミュニティーに居続けることは、得意ではない。必要があればこなすことはできるが、望まないこと。
2〜3年ほどのスパンで、人生を一度リセットしたくなる。
そして、もう一度始めたくなる。
その繰り返し。
リセット、と言うほど大きなものではない。ちょっと引越してみたり、別の仕事を並行してみたり、新しい人に出逢いに行ったり。それくらいのこと。
それがなければ、息苦しくなってしまう。
移動の手段はさまざま。
一番好きな乗り物はバス。飛行機や新幹線に比べ、圧倒的に速度は劣るが、それがいい。速すぎなくていい。車に揺らされていると心地よい眠りにつける。目を覚して、ぼうっと外を見てもいいし、音楽を聞いても、読書をしてもいい。
程よく揺らされるとだんだん頭の中がまとまってきて、メモを取り出して、言葉にしてみる、組み立ててみる、形になる。心が軽くなる。
飛行機も好き。特に長時間フライト。何をして過ごしてもいい。と言いつつ、隔離された世界では、選択肢は限られている。仕事や家事、読みかけの本は自宅に置いてきた。すべきことは山ほどあるのに、雲の上では、罪悪感すら存在しない。
行き先が国外であれば、たんまりと映画音声を浴びて、先に脳内をバグらせておくのもいい。運が良ければ、その言語で夢がみれたりする。そこまで来れたらこちらの勝ちだと、勝手に思ったりなんかして。
新幹線みたいに、目まぐるしい動きは、苦手。半強制的に、身体だけ運ばれ、心は置いてきぼり。ただただ、速さに耐える、ハメになる。
時間に追われる現代人として、その高速の乗り物を選択せざるを得ない、こともある。
そうなれば、それは手段に過ぎない。そこに快楽は求めない、と割り切る。
放浪の楽しみは、移動の時間にある、とすら私は考えている。
私の夫は転勤族だ。
ある程度のスパンで転勤があるのは、承知のうえ。
「夫の転勤があるんですよ」というと、「大変ね」と思われるかもしれない。確かに、子どもがいれば、引越しは簡単なことではない。
子どもがいる生活になれば、また考え方は変わるのかもしれない。
だが、夫婦ふたりで暮らしている今、私はとても幸せなのだ。
期間限定の東京生活。
またいずれかは関西方面に戻る。そしてまた数年後に移動をする。
そう考えたら、楽しくなる。嬉しくなる。
救われる、気持ちにもなる。
放浪癖が治らない私と、転勤族の夫。
相性は、きっと良い。
win-winの関係、とはこういうこと。(たぶん)
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