人と比べたら、「強み」がわかった。
人生それなりに生きていると、
何が得意で苦手なのか、何が好きで好きではないのか、大体はわかってくる。
得意は活かそうと思うし、苦手にあえて取り組もうとはしない。
好きなことをしていたいし、嫌だなと思うことからは距離を置く。
そう、自分のことは知ってるから。
生活もそれに伴うでしょう。
と思っていた。
だが、
「得意」や「好き」は、どうやら時と場合によるらしいのだ。
大きくは変わらないのだけど、置かれている環境や立場によって、ちょっとずつ変わってくる。
自分より得意な人がいれば萎縮するかもしれないし、逆に自分しかできる人がいなければ重宝されるかもしれない。周囲との比較によって、「得意」や「好き」の大きさが前後する。
「比較」というと、他者ありきな考え方に聞こえる。やっぱり周りを気にしてるじゃないかと。
誰かよりも劣っている、勝っている。
勝ち負けじゃないでしょ、と。
けれど、決してマイナスなことばかりではない。
比べることで、見えてくる「強み」がある。
私事だが、数ヶ月前から、建築系の学校に通っている。もう授業は終盤。いわゆる追い込みの時期に差し掛かっている。
膨大な設計課題に取り組み、考えやアイディアを形にする。頭の中だけで作られた発想を、誰がみてもわかるようにイメージにおこす。見た者が、わっとなるような、おもしろいと思うような、そんなものを創り出す。
それが最終的に目指すところ。
一連の作業は好きだ。頭をぐるぐる回して、これでもないあれでもない、これもいいあれもいい、とひたすら自分と対話する。行き詰まった時には、先生に相談して明確な回答を得たり、クラスメイトとの会話から解決の糸口を見つける時もある。
それを繰り返す。
自分とひたすら向き合う。
昔から好きなことに自信が持てなかった。
絵が好きで、描くことも鑑賞することも続けてきた。それなのに、自信がなかった。自分よりずっと上手に描く人を知っていたし、鑑賞においてもどれだけ勉強を重ねたところで、専門の学士や修士号を持っている人たちには敵わないと思っていた。
建築系の会社に勤め、運よく設計補助の仕事を任されたとき。とにかく自信がなかった。ひとつの仕事を丁寧にこなして、お褒めの言葉をかけていただいても、知識や経験不足を恥じて、どうしてもその言葉を受け止めきれなかった。だって、私よりずっと凄い人がいる、と。
でも、またここに戻ってきたのは、
アイディアを形にすることが好きで、この好きで誰かの力になれたらと、どこかで思っている節があるからだと思う。
おこがましい発想。
けれど、
もう一度試してみたい、そう思ってしまった。
迎えた、課題の発表当日。
私はトップバッターのくじを引き当て、なんのしがらみもプレッシャーもないまま、ステージに上がった。
予行練習通り、プレゼンを行い、無事終えた。
クラスメイトからの温かいコメントに、お世話になった先生からの有難いお言葉の数々。
ああ、これは私の「好き」なことだ、
と、この瞬間、ようやく受け止められた。
世の中には、凄い人たちがごまんといる。
この狭い学校のコミュニティでさえ、目を見開き腰を抜かすほどのひらめきと発想、そして表現することへの情熱を心に抱いている人たちがいる。
「できない!」
「間に合わない!」
と嘆いていたクラスメイトが、とんでもないものを仕上げて魅せる。その姿をみて、やっぱり敵わない、とまた思う。
それでも今、
これまでの積み重ねと苦い経験と、負けられないという闘争心と。全てが合わさって、絡み合って、もがいて、ここにいる。
私は、頑固で、往生際が悪い。
どんなに足掻いても敵わない人たちがいる。
これは事実で、これからも変わらない。
でも、今は自信がないとは言わない。
この”敵わない”と思い続けることこそ、
私にとっての「強み」だと知ったから。
学校のクラスメイトであり、
ライバルであり、
敵わないクリエイターたちから学んだこと。
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