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愛をよぶひと。

夫に「やさしいね」と声をかける。
やさしい性格だから自然と、言葉になる。

夫に「かっこいいね」と声をかける。
美しい容姿だから、言葉にせずにはいられない。


けれど、「好きだよ」とは言わない。
意識をしてなければ、言葉にすることもない。

恋愛と違って、心が躍るようなことはない。

だからって、夫が家族になった途端に「すき」という感情が消えてしまったわけでもない。


一体どうしてだろう…


自分の中で仮説を立てながら、
しばし考えてみた。



仮説1:言葉にしなくてもわかるでしょ、とどこかで思ってる。

それはある。ただ、大体のことは言葉にしないとわからない。夫婦という、一番近い存在の人だからこそ、気持ちや考えを伝えたい、と思う。

察してほしい、と思うこともある。
疲れていて、言葉にするのも煩わしいとき。


夫婦だから、わざわざ言わなくても伝わることはある。それは多くの時間を共にしていて、相手の思考回路や行動パターンが読める、というもの。

けれど、”今”感じたことを言葉にするのは怠りたくはない。「うれしい」「たのしい」「おもしろい」「きれい」を共有したい。


では、「すき」はどうだろう。

これは、気持ちや感情。”今”あふれ出すものではない。どちらかというと、じわじわと広がって、心から全身にゆっくりと巡っていく、血液みたいなもの。

思考よりも手前にある、無意識で生まれるもの。

”言葉にしなくてもわかるでしょ”という考えのもと、あえて言葉にしていない、のではない。

よって、仮説1は、私にあてはまらない。




仮説2:小っ恥ずかしいから、言葉にできない。

これはあるかもしれない。事実、夫に「好き」と言葉をかけてもらった際、同じように「好き」と返すのに、多少なりと抵抗する気持ちがある。

もちろん、心に反しているから、ではない。
だが、「すき」という感情が私の中で湧いてはいない、のだ。

先ほどの仮説でも述べたとおり、夫への「すき」は自然現象であり、あふれ出すものではない。


私にとって、「すき」とは


「好き!!!!!!!!!!」


みたいな、暴走する気持ち。何か得体の知れないものに乗っ取られ、房総半島まで連れて行かれるような、コントロールが効かない状態。


夫とふたり生活するうえで、このような事態に陥ったことがない。

”小っ恥ずかしい”気持ちの前に、そもそも「すき」が沸騰していないのだ。

よって、仮説2も、私にはあてはまらない。




となると…

仮説3:もう「すき」じゃない…??

たぶんこれに落ち着く。そもそも夫に猛烈に「好き!!!!」となったことがない。出会ってから、すうーっと夫婦になったようなもので。燃えるような「好き」はなかった。


夫と暮らしていて、

「珈琲を淹れてくれてありがとう」
「そばにいてくれてありがとう」
「やさしくしてくれてありがとう」

という気持ちが、大きくなっていく。

消えることのない、感謝の念がすくすくと育っていくような感覚は、ずっとある。



これは”安心”という言葉にも置き換えられて、私の生活の基盤となっている。


日々が、普通ではなく、特別なのだと、ふと我にかえるとき。
夫という人間が、尊いと気づく。

「すき」が、「尊敬」の念に変わるとき。
私は夫が愛おしくなる。

いつのまにか、「すき」ではなくなって
どうやら「すき」を超えていた、らしい。





そんなことを考えていた朝。
しっかり寝過ごした夫がダイニングにやってきて

息を吸うように、
「大好きだよ」といった。

タイムリーな言葉にびっくりして、立ち止まる。
考えてみたら夫はいつも言葉にしてくれる人だ。

これはいつものこと。
けれど、今日はすこし特別な気分。

「ありがとう」と私は言葉を受け取って、繋いだ手をぎゅっと握り返した。



・・・


(本題)
今週の珈琲次郎さん企画、まとめ記事にて。

いろんな方が「好き」「愛してる」は言葉にしづらい、言葉にしない、と綴られているなあと。そういえば私もかも…と思い、数日なぜだろうと考えておりました。(考えていたら期日を逃したという無念)

「パートナーに伝えたい言葉」をめぐる記事が盛りだくさん。
はっとする言葉に出会えるはず…?!





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