適当
最近note書いてないなーとは思っていましたが、別のある原稿を書いてました。
整体のコミュニティの会報に寄稿するために、ある医学書の読み解きをするというお仕事です。
分厚くて古文と旧字のオンパレードで、文字が薄れて読みづらい箇所もあったしなかなか大変。
やりきったときはかなりの達成感でした。満足。
難しい課題を前にしたとき、最初は「うおーやるぞ!」ってなる。
そのままの勢いでいければいいけど途中で途切れてしまうと、また起き上がるのによっこらしょって感じですよね。
ただでさえハードな壁なんだから、心折れるのは簡単だと思った。
だからやっぱり、最初の勢いも大事だけど、淡々とコツコツ少しずつでも離れないことが結局簡単なのかなと思いました。
そんな感じで原稿を書いていたので、書くという行為はやめてなかったです。noteももうちょい書けたらいいとは思ってるけど。
六月はとにかく早かったです。
新しく始めた仕事はめちゃくちゃ楽しい。
帰宅したら倒れ込むくらい暑さにやられてはいるけど、家で一人の時間は減ったけど、仕事のときは船に乗るので、海を見ながらという環境で精神的に健康的な自分時間を過ごせています。
整体も新しく継続して受けたいというお客さんが来てくれてたり、なかなか充実した一ヶ月でした。
なんか、振り返りをゆっくりできてないなーとか思うところだけど、しなくていいっしょと自分に思った最近。(メモ的にはそのときどきにちょこちょこ残してる。)
ほんとは河口湖に行ったり東京行ったり色々と出来事はあったんだけど、一個一個を改めて振り返ることを今自分が必要としていないなと思いました。
忙しくて考えてられない、ってわけでもない。いや、考えることややることは確実に六月までより増えてる。
けど、それに苦しめられてるわけじゃないから、忙しいという言葉ではなくて。
SNSに活動してるアピールするには絶好の機会だと思うんだけど笑、それが今どうでもいいというか、、SNS上のコミュニティだけじゃなくて、リアルにあるいくつかのコミュニティで、アツくコミュニケーションをとっているから、なんかそれが大事って思って。それで満足してるというか。
「こだわるな」と思うようにしてます。
こうしたほうがいいかなとよぎったときに「べつにいいんじゃない?」と自分に言ってみる。
すると、ほんとにどうでもいいことは「そうだね」となる。
そのままにしたくないと思えば、「や、これはちゃんとやろう」と思ったりする。
一個一個振り返って残すことは、今は前者になったということです。
新しく仕事を始めたり、整体絡みでも責任のある役を任されたりと、責任は増えたんだけど、だからってわけじゃないけど、このタイミングでたまたまかもしれないけど、私は今、適当にやろうとしているというかすでに適当にやってます。
そしたら自分の思ったようにできなくてもあんまり落ち込まなくなってきたし、「えいっ」みたいな感じで発言したりもしてます。
社内メールだったりかしこまった場だったり。
結構勇気のいることだったけど、本心だし、言って何になる?かもしれないけど、言わなきゃ何も変わらないし自分がここにいる意味がないと。それをちゃんと受け止めてくれて響いて、言ってよかったーと思ったりしてます。
なんか自分はもっと適当でいいとずーっと思っていたので、やっと適当にやり始めることができてるなぁと嬉しいです。
やりたいかどうか。
責任のあることも、好きだったりやりたいからやってるわけだし。
やりたくないことに責任なんて負わされてもやる気ないし疲れるだけ。
やりたくないことにはこだわる必要ないし、執着もしない。
大して興味のない長文のLINEの返事も適当にすることを覚えてすごく楽だと感動してる。笑
興味のないこととか大してやりたくもないことに「ちゃんとやらなきゃ」と全部に向き合ってたのが前の私。真面目か。
ちゃらんぽらんと適当は全然違う。
「適当」って言葉の意味がやっとわかってきた気がする。
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