抱負は「目標は立てない」

目標は立てない。
抱負という抱負もないし、計画も立てない。

夫の仕事の状況がまた大きく変わる。

2022年1月に夫の急な転職で引っ越して、大きな変化があってこの一年は私にとって試練の年だった。
初めて味わう心や体の不調もあった。
でもこれからの生き方、私が私らしく心地よくいられる生き方はなんなのかを考えるために必要な一年だった。
できないこと、したくないことがはっきりした。
やっぱり本当にこれが好きだ、っていうこともはっきりした。いや、絶対に変わらないとは言えないけど、この先もずっと好きなのか本当にやりたいのかやってどうなるかみたいなことも考えるのをやめた。

これまで頭を使いすぎた。考えすぎた。
自分が本当はもっと感覚で動きたいしその方が好きだということを無視していたけど、2019年くらいから思いっきり頭と体を使ってやってきた二年間があって、昨年があって、そして今、やっと頭を休めて心で動けるようになってきて、でもまだ頭が動こうとしてる。

昨年苦しみながら思っていたのは、一旦完全に止まらないと先に進めないということ。仕事のことも何もかも、無理するのも頑張るのもやめて、楽にいられる自分を探してた。
でも夫は帰ってこない日もあるくらいだし、3人の子どもたちはものすごく元気で、悪くいえば荒々しい。優しいいい子たちだけど、自由すぎて直感的すぎておまけに声が全員でかい。一人は登校拒否だしそういうのも大変。ワンオペでは本当に辛い。

というわけで2023年になったけど、まだ休み足りないと思ってる。
まだ休養は中途半端で、頭と心に重たいものが残っている。これじゃ動き出してもまたちょっとしたことで故障することが目に見えてる。

だから年は明けたけど私はまだ休みの延長で、張り切るつもりはない。
大晦日元旦は夫がいたので少しはゆっくりできたけど、ちょうど謎の体調不良が始まったので、例年のようには飲んでいない。
今も頭がズキズキしてる。左側の首から上に、日を追うごとに症状が増えている。
なんかあるんだろうな。
こういうとき、休めってことだろうなーと都合良くとらえちゃっていいと思ってる。これ本当に体に症状が出るっていうのは体からのサインですからね、病気っていうのは、その生活習慣に何か問題があるってことで、それを気づかせようとしてくれて体が症状として出してるんだから、無視しちゃいけないです。


今年は夫の仕事の状況が大きく変わるので、どんな働き方になるかがまだよめない。ただ、今よりも忙しくなることだけは想像できる。
なので私のワンオペ育児家事はまだ今年も続くことはほぼ確定なのです。

おまけに末っ子が小学校入学。これは上2人がいるし楽になる点もあるかもしれないけど、新しい環境になるわけで、家の中も持ち物やら配置やら変えることになる。


自分の休養と、夫の仕事の変化。
この二つから、目標なんて立てると自分が苦しくなると思った。
これまで、抱負を決めなかったことなんて小学生くらいからなかったんじゃないかと思う。
決意なんてしない。
あ、これが抱負なのかもしれないですね。
目標を決めないで、ただ楽に過ごす年にする。これが抱負です。


『目標』についてネットから引用しました。
「目標とは、目的を実現するために掲げられた具体的な方法のことを指しています。 つまり、漠然とした夢やビジョンという曖昧なカタチになっている目的を実現するために、具体的に何をすればいいのかを明確にした達成するべき手立てが目標です」
「目的」は最終的に目指すゴール。


うん、やっぱり目標は立てない。
でも、やりたいことはあるから、それはやる。
気が乗らないことはやらない。
それだけは決めておこう。

そんなんで生きてたらどんな一年になるんだろう。
どんな自分になるんだろう。
それが楽しみな一年。

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