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内省 懺悔 ピアノ

 私はばかであった。愚かだった。とんだ愚か者だった。
 頭がぐわんぐわんしている。熱い。コンピューターが処理できずヒートになった時のよう。
 私は……私は、忙しいのを言い訳に逃げていた。実際忙しかったけれど。けれど自分の芯まで捨ててしまっていた。

 テスト期間中で、夜更かしするためモンスターを飲んで、勉強中のBGMに、坂本龍一のピアノを聴いていたのだ。だけど、もはや勉強とかどうでもよくなってしまった。

 ピアノ。私が一生縛られている楽器。縛られるのも本望かと思えるような。押すだけで必ず正確な音が出るというのに、弾く人によって音色が全く変わる楽器。高い音だと打鍵音がよく響いて、より存在を実感する、ピアノというものを介して、そのひとが、こちらにまっすぐ音を、振動を、伝える。
 最初はEnergy flowを聴いていて、そのあともTong Pooとか色々流していて、最終的にはMerry Christmas Mr.Lourenceに行きついた。ピアノは本当に感情がよく伝わる。ものすごく伝わる楽器だ。出る音の高さは誰でも一緒だからこそむしろ、その感情の差がよりダイレクトに伝わってくるのかもしれない。一音聞いただけで、どれだけ心を込めて鍵盤を打っているのかが一瞬で伝わる。そこに音楽経験とか他のアーティストとの比較とかそんなものは必要なくて、ただまっすぐに届いてくるからわかる、その一音が煌めいているからわかる、そしてはっとする。私は、今まで何をしていたのだろう。適当に綺麗ごと作って学校とか世間とか親とかとうまくやっていこうとして、まあこれでいっかぐらいにやっていて、本当に大事なものに向き合えていなかった。私にとって、音楽、ひいては作品、ひとの作ったなにかを一対一で見て感じること。他の何より人生において重要で、それができないなら何の意味もない。そう思わざるにはいられないくらい人間の創作物には強い磁力があって、でもそれを無視しようとしていた。なぜなら作品と向き合うのにはカロリーを消費するから。エネルギーを消耗するから。それでためらってためらいつづけて、最近はもはやそのような何かに真剣なオタク心とも言うべき気持ちが分からなくなっていたのでは。
 日記もここ最近全然書けていない。私にとって文章は作品だ。だけれども、私のこの日記の中で作品だと呼べるものはいくつかしかなくて、基本的には駄作。壁の落書きみたいなものだ。でもそれすら書かなくなったら本当に、自分の中で感性が死んでしまうだろう。知らないうちに雨に打たれつづけて溶けて消えてしまうだろう。

 




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