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日英の違い 意見交換編

Hello, みろろんです。

元教員がイギリスでも教育について考えています。

最近何を見ても聞いても、教育が根本なのでは?と思ってしまいますが、友人には哲学だったり、言語だったりするので、やっぱり世界はおもしろいな、と感じています。

私は十人十色、という言葉が好きです。

人の興味はそれぞれです。しかし、それぞれを追求していくとなぜかみな同じことを言うのかな、と感じていてそれが楽しいです。でも別でないとおかしいとも思います。皆同じことばかりやっていると世界が狭くなりますよね。

時には喧嘩のように聞こえる「議論」も楽しいのです。

私はイギリスに来てから常に「クリティカルシンキング」(Critical thinking)を身に着けるようになりました。

これが日本だとなぜか難しいのです・・・。

例えば○○ってどうよ?という話になったとき、否定的な意見を言うとまわりが肯定派が多いと「それっておかしいよ!」と一喝され。

その後、話しづらくなることがあります。

特に私は日本人の人と話すときはSNS上での文章のやりとりだったりするので、タイムラグやニュアンスが伝わりにくくなります。

少し前も高校時代の友人と日本の小学校の指導について話をしていて、私はヒートアップしてしまい、友人から

「それは違うよー」とか「それはないわ!」

と言われてから、その後どうフォローしていいのか分からなくなりました。。

違う意見と出会ったとき、みなさんはどうしていますか?


昔の私は全力で違うってことを伝えたくて、ガンガン意見を言っていたように思います。(主に大学生のころまで)

社会人になり、それなりに「空気を読む」ことを覚え、おとなしくなりましたが、同時に自分の許容範囲も広くなったと思います。

さらに、そのころにイギリスに行き、いろいろな価値観に触れ、とても自分が楽になったのを覚えています。


年末に大学時代の友人と話しても、

「まるくなったねー」

と言われました。

どれだけ尖っていたのでしょうか? (笑)

今はいろいろな意見があるのを理解しつつ、どういう風に伝えればいいのか考えています。

しかしながら、そこには文化の壁があるのです。

イギリスは違う意見を冷静に受け止める文化があり、誰かが強く何かを主張しても

「そういう意見もあるね。でもしかし・・・」

と続けてもその人の人格まで否定することはありませんし、あくまで一意見として受け止め、それも考慮してよりよくするには・・・という建設的な意見交換が行われます。

そのため、感情をむき出しにしたり、泣いたりするととても大事(おおごと)になります。

そういうときは第三者がでてきて、違う視点から(問題自体の話はせず)解決策を練っていく、という感じです。


誰でも言いたいことをいう権利がある、それを聞く準備がある(そのようにしなければならない、という社会)、という意味でイギリスの文化はとても生きやすいものです。

ただ、日本人としてどこまでが許容範囲なのか、というのはとても難しく、所属する団体、企業にもよります。

イギリス人の友人でも大変だと感じるのが実はボランティア団体の活動だそうです。

利害が絡んでいないはずなのに、個々の思いがずれてそれで言い合いになるとか。

私はボランティアではないですが、そういう場において、まだまだ発言できず、1対1はなんとか自分の気持ちを伝えることができるものの、大勢だと圧倒されてしまい、なかなか自分の意見をいうことができません。時々シーン(沈黙)となったときに

「どう思う?何にも発言してないけど」

と振られたりして焦ることもしばしばです。

私はイギリスにいるほうが「自分の気持ち通りの発言ができる(空気を読むとかではなく、自分の意見を主張)」のでもどかしいながらも、いいな、と思っています。

ハズはさらに

「イギリス人は本当にタイミングが上手

といいます。

そしてそういう「感覚」は子供のころから訓練されているようで、サッカーをしている子供たちはみな意見交換が上手だと言っていました。(ハズはサッカーコーチしています)

こんな文化で育ったうちの子たち。

なかなかおもしろい意見をいつも私にぶつけてくれます。

これを「楽しい」と思える私ははやりイギリスに染まっているのでしょうか。

うちの子たちだけでなく、すべての子供たちが「自分らしく」生きていける社会になればいいな、と思っているみろろんでした。



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