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私とクラリネット 1

Hello, みろろんです。

今日もオンラインピラティスとオンライン仕事、オンラインでいろいろな人と会話・・・。今日も忙しく過ごしました。

しかし、気分はよくありません。。2週間前に喘息をもっていた同僚が亡くなり(はっきりコロナとは言われていません)、先週コロナにかかったクラリネットの先生が2か月たっても体調が戻らず、レッスンがキャンセルに。

ごめんなさい。もう過去は話さない、と決めていたのに、現在と交差するものだけは無視できませんでした。

ここではクラリネットとの出会いについて書きたいと思います。

クラリネットに限らず音楽の話になると思います。


実は中学の時は部活大好きっ子でした!(私の学校ではクラブっていってました)

小学生の時に地元の全国区でも有名な通りでのパレードのテレビ中継がありました。

そのパレードを多分小学5年生くらいで見ていた私は、かっこいい人たちの楽器の演奏にくぎ付けになりました。

それが吹奏楽との出会いです!


当時他県の高校や中学がでていたのですが、なんと私が行くはずの(公立)中学校が演奏しているではありませんか!!

私はこんなかっこいい服を着て、パレードしたいな、と漠然と思いました。


当時はその地元の中学が荒れている(まあ、不良が多い)とうわさされていたため、私の母は私立中学受験を視野にいれていました。

しかし、私は受験する気もなく、のほほんと地元の中学に行くことしか考えていませんでした。あの、吹奏楽部に入る!と。

結局母も受験を断念し、私は公立中学に入学します。

そこには今まで知らない世界が広がっていました・・・

まずは先輩の洗礼

私の小学校には勉強もスポーツもできるイケメン同級生(当時はその言葉はありませんが)がいたのです。みんなの人気者でした。

その彼が入学式から数日学校には来ませんでした。

しばらくしてから会った彼は頭に包帯を巻き、手にも包帯が。

「先輩から目をつけられていたらしい」

と噂で聞きました。

小学校ではヒーローだったのに、それから彼が表舞台に立つことを見なくなりました。。。

中学校は当時ではよいほうだったかもしれませんが、全校朝礼の時にも何人かの(金髪とか?)の生徒は参加せず校舎をうろうろするような学校でした。


そんな中私は吹奏楽部に入ることにします。

そこには怖そうな3年生の先輩が・・・!!


最初はフルート希望でしたが、口の部分だけの練習でロングトーンができず、先生からクラリネットにまわるように言われました

同じ楽器の中でも1st(高音の主旋律を吹く人たち)、2nd、3rdと分けられていきます。

私は音階がきちんと音がならず2ndに。


しかし、1年生は3人いたのですが、夏のコンクールに人数が足りないということで出場することになりました。

1年生はほとんど音を出すことはなく、「吹く真似」でした。

それでも練習のために合奏に参加できることになりました。

合奏は主に週末に行われ、顧問の先生以外に卒業生のOB、OGなどが指導してくださいました。

それがすごく楽しいんです!自分の吹くところ以外、こんな和音を作っている、リズムを作っている・・・

ピアノはやっていたのですが、一人で完結するので、合奏がこんなに楽しいとは・・・!!

私はとりこ(虜)になりました。

実は私の学校は当時ちょっと有名な学校でコンクールでもよい成績を残していたようです。(入ってから知りましたが)

当時は男子生徒も多く、半々くらいでした。金管楽器(トランペットなど)はほとんど男子。木管楽器は女子が多いものの男子も結構いました。

中学になると例えば男子バレーボール部、というふうに男女別で募集されていることろがありましたが、吹奏楽部は男女関係ないところもその後の私の人生において貴重な経験になりました。

また、今でこそ部活問題で教員の方が声をあげていらっしゃいますが、土日も練習があるのによく顧問は頑張ってらしたな、と。当時は私が1年に入ったと同時に顧問が替わり、新任の女性の先生でした。その先生はすぐに精神疾患になり、薬を飲んでいたそうですが。


しかし子供であった私にはそんなことは全く見えていませんでした。

4月に入ってから土日も一日中練習、合奏

ゴールデンウィークも練習三昧。しかも運動部と違い一日中です。

毎日顧問も付き添っていました。(本当に申し訳なかったです)


その時は私は当然なんだ、と思っていたのです。

確かに、私の生活はガラリと変わりました。

家にいる時間がほとんどない!!


当時土曜は午前中授業があったのですが、昼食後は夜まで部活。

日曜は一日中部活・・・。

最初は20人くらいいた1年生も次第に減っていきました・・・。


私は3年生が夏で引退してから1stを任されるようになりました。

それからはプレッシャーとの闘いでした。

一つ上の先輩はとても厳しく、言われたことをすべて「はい!」と言受け入ける運動系部活の雰囲気。(ゆるい運動系の部活の方、すみません。独断と偏見です)

コンサート会場の設置などでも私たちがやり、先輩の楽器も準備して・・。

さらに練習時間を見つけなければなりませんでした。やっぱり2年生はうまいのです。。。

そうして私が2年生になり、板挟みになりました。後輩は動かない、3年生からは怒られる・・・。

それでも合奏の時間は楽しく、音楽を思いきり楽しんだと思います。先輩もうまかったので予選を通過。都道府県大会に出てコンクール最後になりました。

3年になっても同じ生活。ただ、自分たちの反省から後輩には厳しくしないでおこう、ということになりました。

それからも部員が減っていたので私たちの学年は3年生の10月くらいまで行事に駆り出されていました。


そんな中、受験も頑張っていた私たちクラリネットパート。3年生女子3人です。部活をやっているからといってバカと言われないよう、見返すために3人とも頑張りました。

あの時の集中力と負けん気ははやり部活で培ったものだと思っています。

そんな中学3年間を過ごしました。


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